静音の小径 其の2

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zoom RSS はぐくんでくれた人がまたひとり旅立った

<<   作成日時 : 2016/10/18 23:40   >>

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Bill Evans Trio - Jazz 625 complete


Bill Evans
Chuck Israel
Larry Bunker

BBC Studios London, March 19th 1965




9月17日
亡き母の亡き妹の連れ合いが亡くなったと連絡が入った
三室正之さん
長年、文房具を富山の役所や学校に届ける仕事をしていた

19日、取るものとりあえず北陸新幹線に乗った
雨が降り始めて
長野を過ぎたあたりから空も暗くなった

画像



わたしの家は母の4人姉妹を中心に親族を作っていた
長女の「静江」さんは実家の跡取り
幼い日よりの許嫁が婿入り
母にとってのその実家が終生の心のよりどころだった
静江さんが晩年、従姉妹の勧めで千葉へ
それが母と従姉妹の千代子さんの確執になったのか
もう叔父も叔母(88歳2005年11月10日没)もいない


次女はわたしの母「よし」
戦争未亡人(夫蛹エ徳三さんはミレー島で20年5月20日餓死)になった母は
戦後の衛生状態が悪い町で
唯一の忘れ形見の娘慶子(義姉21年11月3日病死)を失った

捕虜になったために生還できた竹内治夫と
家具木工所で出会い、母は再婚
実家の敷地に家を建てて暮らしていた


三女「はな」は富山市役所に勤めていたが
詩人だった叔父の勧めで、姉静江の弟と結婚
子どもだったわたしまでもが
「巌ちゃん」と呼んで親しくつきあえた叔父だった
その人ももういない

はなちゃんは、今叔母の中でただ一人生きている
5年前に水橋に尋ね、その姿をしっかり脳裏に焼き付けた

上京後、郷里から届くはなちゃんの便りに
母は死の間際まで「会いたい」と願い続けた
あの頃、新幹線が通っていたなら・・・

そして4女の「和子」
わたしは「かずちゃん」と呼んでいたその叔母に
中学生から高校生の多感な時代、一番に影響をうけた

わたしにゲーテのファーストを与え
文学の愉しみを教えてくれた叔母
叔母の個性的なところがわたしにそっくりだと
母はよく言ったっけ

わたしが40代の頃、
叔母から長い手紙がよく届いた
「返事はいらないからね」と変に気づかっていた
それほどに彼女はさみしかったのだろうに・・・
叔母は父と同じ年(74歳2006年4月7日)に亡くなっている


その叔母和ちゃんの連れ合いが
今回亡くなった三室の叔父

富山での晩年
両親が一番頼りにし
一番親しかった人である

画像



両親を富山から連れてきた日
富山駅は吹雪いていた

車いすを毛布ですっぽり包んで
父はなにを思っていただろうか

あの時、列車がホームに入るまで
三室の叔父もはなちゃんも
みな黙っていた

すべてわたしが悪いのです
という気持ちで
わたしもなにも言えなかった

画像


早くももう黒部だ
富山へとひた走る新幹線の中
わたしは何十年間も心の中に押し殺していた
罪悪感を思い出していた


「従姉妹たちがみな富山を離れ
ふるさとに親たちを置いて出たのは
お前がその道筋をつけたのだ」と
折りに触れて、わたしは母になじられていた

ひとりっこのわたしが東京へ行ってしまった
大学を終えても帰って来なかった
3女の娘も東京へ
4女の娘たちも東京へ

「それもこれもみなお前が
ひとりっこでも親を置いて行って良いんだと
みんなに教えたんだ」と

そんな・・・
長女の娘も東京へ行ったではないか

あの時はまだ跡取りがいると
みんなが思っていたから
静江さんの長男の功太郎がいた
わたしが27歳のとき自害するまでは

彼が生きていてくれたなら・・・
そんな繰り言なんにもならないけれど
わたしの人生もちがっていただろう



画像



なんということ
列車はもう富山に着く
車中の人が身支度をはじめた


富山駅からライトレールに乗って蓮町で降りる
今は川崎に住んでいる従姉妹が向かえに来てくれた


5年前に訪れた時のままに
叔父の家は佇んでいた


画像



叔父がいつも座っていた居間
台所の小さな窓の外には緑の雨


従姉妹が東京からまめに帰ってきていたのだろうか
広い庭の手入れも行き届いている


家族葬だからと言っていたが
従姉妹たちが勢揃いし
何とも言えない通夜になった


画像 わたしは最終の新幹線で
 東京に戻った

 身が引き裂かれるような
 思いを残し
 富山駅にもどる

 こういうところに
 若い日の
 わたしは
 生きていた





わたしをはぐくんでくれた人が
こうしてまたひとりと旅立った


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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
思い出深い方だったんですね。
御冥福をお祈りしたいと思います。
yasuhiko
2016/10/21 14:59
♡゚。yasuhikoさん ゚。
あれ以来、幼い日々のことを思い出しています。稲荷町の昔の自分の家に帰ろうとしています。はじめは乗り換えて2本のバスで「館出」というバス停で降りる予定でした。しかし気がついたら、ずいぶん遠くまで歩いていて、これでは大丸の前からバスに乗ったら1本で帰れるではないかと。しかしもっと考えたら、100円の「まいどはやバス」に乗れば、アピアの側のバス停に行けるではないか。いや、まいどはやバスは1方向バスだから、富山駅から乗れば近かったのでは。えっ?さっきはどこにいたの?富山駅近くではなかった?だったら、そのまま地鉄の立山線で帰れば、5分で稲荷町駅に着いたじゃないの?でも・・・稲荷町に行ってどこへ行くの?もう稲荷町にはわたしの家はない。・・・・ここで目が覚めた。ああ・・・こんなゆめばかり
ののはな
2016/10/28 16:59
お久しぶりでした(微笑)。
我が家の家族もそうですが、ののはなさんのご家族も太平洋戦争で大きく曲げられてしまったのですね。
我々の世代では、あの忌まわしい戦争の犠牲にならなかった家族はなかっただろうと思います。
「故郷は 遠きにありて想うもの そして哀しく唄うもの・・・・」
故郷に残ったままの私が生まれた家も、いまは無人になってしまいました・・・。
♪ いくとせふるさと来てみれば 鳴く鳥咲く花変らねど 荒れたるわが家に 住む人絶えてなし・・・♪
あきさん
2016/10/30 10:21
こんばんは!
ののはなさんに影響を与えてくれた方が
この世から去ってしまったんですね。
私には家族、親族の中でそんな人がいるだろか…と
考えましたが、想い出せませんでした。
ゆたかな風土と人に育てられた
ののはなさんがちょっと羨ましいです。
komichi
2016/11/07 22:38
離れて一人で暮らしている母に絵を贈ったというブログのコメントに
「いいことをなさいましたね」
と入れてくださったお気持ちが
この記事を読ませていただいてとてもジーンと伝わりました
カコ
2016/11/09 21:04
♡゚。あきさん ゚。
この頃のわたしの1日はとても早くて、あっという間に月日が過ぎていきます。
あきさんのご家族もそうなのですね。ふるさとってやはり切ないですね。歌でも歌うしかないですね。いよいよ次はわたしたちの世代の番かしらって。
ののはな
2016/11/23 00:17
♡゚。komichiさん ゚。
komichiさんの精神に影響を与えている人々はきっといるって思いますけど。育つ中でそんなこと真剣に考えたことはなかったのですが、ふるさとを離れて、とうとうあんなに母が帰りたがっていた家まで売ってしまったことで、わたしはなんだかとても大切なものを失ってしまったような気持ちですね。ただし残っていれば、それはそれで精神的な負担でしたから。
今、義理の父が別宅にしていた家と土地の処分の仕事が。とりあえず、除草だけはしてもらいました。役所から写真付の文章が送られてきたので。気がついたら、もう10年近く行ってなかったのですよね。家はもうアイビーの蔓に覆い被さってしまっていました。富山の家はそれで良かったのだと、自分ではよくわかっているのです。叔父の家がきれいになっていて、川崎に住む従姉妹には頭がさがりましたね。彼女は9歳年下、しかも教員も早期退職、だから富山にはしばしば通えたのでしょうね。叔父も明るく合理的に物事を考えられる人でしたから。わたしの東京行きを応援してくれたのも叔父でした。目白のアパートにいた頃、訪ねて来てくれた。
ののはな
2016/11/23 00:27
♡゚。カコさん ゚。
よく来て下さいましたね。ありがとうございます。ほんとにあのお話を読んで、うるっとしたものですから。また寄らせて下さいね。
ののはな
2016/11/23 00:30

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