静音の小径 其の2

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zoom RSS 水潜寺への小さな旅を想う

<<   作成日時 : 2017/05/15 00:39   >>

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ノクターン




ころさんから「秩父の瑞泉寺」がみつからないというコメントをいただき
どうして「水潜寺」が「瑞泉寺」に変換されてしまったのかと考え続けている

で、昔のHP<野の花舎>に書いた記事を思い出した
1999年の正月 はじめて水潜寺に行った
秩父へは何度も足を運んだので記憶が曖昧だけれど

そこであの日の日記を残しておこうと思う
わたしにとって、あの日の水潜寺参りには意味があった
どうしてわたしの体がこんな風になったのか
これからどうやって生きていけばいいのか
何もかもが未知で不安でいっぱいだった

でもあの日から
わたしは前を向いて歩けるようになった

そのきっかけはやはりあの水潜寺


1999年1月
医者もスポーツセンタもない正月のことだった

病をもつ人が「正月と盆を不安がる気持ち」をはじめて知る
そんな、体も心も倦み疲れたわたしに
「あした、秩父にいきましょう!」と友人から電話がかかる

わたしに峠を越える体力があるのだろうか
足手まといにならないだろうか、と不安がよぎる


池袋から西武秩父線に乗る
池袋からこの方面に列車をゆくのは、何年ぶりだろう

10数年前の夏
「読書倶楽部」の子どもたちと丸木美術館にいった
いろんな思いがよぎる

 とんちゃんという名の女の子がいた
 あの子はいくつになったのだろうか
 数年前
 駅前の本屋で色白になって
 すらっとした彼女に会った

 子どもを生んだこと、父親となる男性が頼りないことなど
 あの子は淡々ととりとめもなくしゃべった

 中2のあの子はわたしのうちの子になりたいといったっけ
 そう、あの子の父親は厳しい人だった
 母親も父親とおなじ方針で子どもに当たろうと努力している人だった
 尊敬できる両親だったが、あの頃、あの子にはそんな親の愛がわからなかった
 親にささやかな反抗をして結婚したのだろうか
 やさしい目をしたとんちゃん、しあわせになっているといいな


 登校拒否の後
 倶楽部に入ってきた女の子がいた
 あの子は「開眼」という文章を書いたっけ
 
 卒業後一度も会っていない
 あの子の噂は誰からも聞けない
 どうしているのだろうか
 中3の日の記憶しかないわたしには
 授業中、静かに問いかけるような目をむけた
 あの子しか思い出せない

 丸木美術館で男の子等はふざけたけれど
 あの子は静かにわらっていた



秩父駅に降り立つ
はかなげな華やかさの田舎街の空気がある

秩父セメントに痛めつけられた山肌が痛々しく白く煙る


ここには34カ所の札所があるという
わたしたちは札立峠を越える遍路道をつたって34番の水潜寺にいく
つまりわたしは、最後の巡礼地を一番最初に訪れることになる


道案内を連れにすっかりまかせる気楽な山歩きが始まる

破風山の南の「水抜」あたりでタクシーを降りると
そこはすでに山

画像


わたしたちは冬枯れの山に囲まれている
あれはジョンブリアンにバイオレット
いやマーズイエロー

いつしか雪をかぶらない
こうした冬色の魅力を知るようになった


林道を少し上り、右に折れる
小鳥の気配
めじろかしら

いよいよ山道だ
一気に登り始めたので、汗が流れる

勾配のきつい山の南斜面をゆく
呼吸を整え、自分のペースで歩く
かつての山歩きのこつを思い出す


いくつかの集落を越えたようにも思う
ひたすらさらさらと崩れる山道を慎重にゆく
ぬかるんでいたら崖下にあっという間だろう

画像



しばらくゆくと穏やかな登りに
静寂のなかに連れの足音だけが

林に竹が目立つ
小さな岩場に小さな流れ
と思ったらもうそこは<札立峠>


 昔、中3の国語の教科書に「峠」という詩があった
 K中3年9組のその授業にわたしも参加した
 かの教師の授業の巧みさだったのか
 読み進むうちに、生徒もわたしも、今まさに、
 人生の峠に辿り着かんとするような
 あえぎと希望を感じ始めていたっけ


それにしても、この峠はあっけらかんとしている
札立峠の名前の由来を書いた環境庁の看板が立つ

 昔、大干魃に困り果て、
 旅の僧の「雨を祈らば観音を信ぜよ」との教えに
 「甘露法雨」の札を立てたところ、
 水潜寺のあたりに水が湧き出したという

ここからはシャガの緑だけが新しい下りの道
汗をいっぱいに含んだタオルを背中からとりだし
下りの体制を整える
この巡礼古道を
どれだけの人たちがどんな思いを胸に歩いたのだろうか
画像
 膝へのクッションをとりながら
 一歩一歩足下を確かめる

 谷から吹き上げる風
 谷底からのせせらぎ
 一歩一歩ごとに
 水潜寺に近づく

 やがて、眼下に
 にぶいサップグリーンの屋根

 それは巡礼の旅の終わり

画像



なんということのない寺を前に
わたしは祈るべきことのあまりの多さに呆然となる

線香のにおいと連れの読経
ただ、連れの心の平安を祈る




水潜寺を後にすると、心が急に軽くなる
なにかを成し遂げたような安堵感



画像 ここからは
 日野沢川に沿って
 皆野に向かう
 川のほとりに
 宮沢賢治の童話のような
 小学校があった

 裾の汚れた白衣を着て
 こんな学校の
 理科の先生になりたいな
 黒板には
 「ちょっと森に行ってます」



とりとめのない気楽な会話を交わしては
川をのぞき込む

画像 「ひとつのメルヘン」という
 中原中也の詩を思わせる河原

 その河原に降りれば
 折しも一陣の風
 対岸の落ち葉が
 ざざっと音をたてる



  秋の夜は、はるかの彼方に
 小石ばかりの、河原があって
 それに陽は、さらさらと
 さらさらと射しているのでありました。

 陽といっても、まるで硅石か何かのようで
 非常な個体の粉末のようで
 さればこそ、さらさらと
 かすかな音を立ててもいるのでした。

 さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり
 淡い、それでいてくっきりとした
 影を落としているのでした。

 やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか
 今迄流れてもいなかった川床に、水は
 さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
       一つのメルヘン 




もう ここで なにもかも
重荷を降ろして
都会へは 
帰りたくない



今、わたしの懐に
あの河原で拾った小石がひとつ
「月夜の晩に」拾った中也のボタンではないが

闇に放れず
指に沁みて
心に沁みる
 
(99/01/14の日記から) 

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コメント(5件)

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もう雪国に住む気力も有りませんが、
ののはなさんの記述に有る
「いつしか雪をかぶらない
こうした冬色の魅力を知るようになった」
と云う心境には成れずに、白い冬への憧れが残ります。

調べる事が下手なので、「峠」と云う詩が 真壁仁の物らしい と分かる迄に、たっぷりと時間を貰えました。

逆の立場に成りますが、中学校の恩師の事を思い出す時は 当時の自分を見詰めています。
再会する事の無い 教師と生徒の世界は、現実の世界で パラレル・ワールドを 実証しているのかも知れませんね。
ころ
2017/05/16 19:30
♡゚。 ころさん゚。♡
そうですね。風景のバックに雪を被った山があるという自然の中で育ちましたので、こちらに出てきてからはぞっと物足りない気持ちでした。でもこの頃はそうした冬枯れの山の魅力もわかるように。里山の良さかな。
と言ってもやはりころさんと同じように、白い冬が一番ですよ。

真壁仁と思い出せれば良かったのですが、もう30年以上も昔のことで、わたしも言われてああ、そうだったという。ごめんなさいね。
ころさんは生徒としてのご自分からいろんなことを思われるのですね。卒業時、広い人生のどこかでまた巡り会いたいね、と別れる生徒と教師。わたしが思うようにあの子等もどこかで思っているかしらと思うこの頃です。しかし生徒と教師はそれでも学校という共通の場所があるから、まだ探しようもありますね。
 そうではない人との交わりはそれ以上に困難です。再会できたと思っても、いろんな障害があって、またそのつながりが消えていくこともあります。それが哀しいです。
今、わたしは区主催の認知症予防プログラムの会に月1参加しています。そこで60年も昔に思いを馳せ、思い出す日々を送っています。いろんなことその端切れでも留めておきたいという気持ちになります。なんということはなくても、それがわたしという人間がいた証。最近死をよく思います。先日、うちのマンションで命を自ら絶たれた方がいらして、その現場を見てしまい、その現場をきれいに洗い清めて花を飾っています。毎日いろんな噂が飛び交いますが、わたしは自分の死までの距離も測るようになりました。
ののはな
2017/05/20 14:59
旅の心がけがすばらしいですね。
私の兄たちも、いろいろなところへ出かけていたようですが、勤評反対をたたかったころの舞鶴の友人との話には、聞いていて熱がこもるのを感じました。
生徒たちが、忖度政治のなかで、成人したいま何を見て感じているのでしょうね。
身勝手な思いを書き込んでしまい申し訳ありません。
Tatehiko
2017/05/22 11:52
♡゚。 Tatehikoさん゚。♡
いえいえ心がけなんてとんでもない。40代の終わりに変形性頸椎症と頸肩腕症候群(?)で、ちょっと病休を取りました。筋力がゼロになり、痛みと闘う日々。もうダメなのかもと心配のあまり胃潰瘍になるし、頭がぼっとして記憶力もなくなるし、バランス感覚もなくて、自転車の乗ったら塀にぶつかるし、なんとも情けない状態でした。数年かけて元気になりました。最後の修学旅行のころ、tatehikoさんと出会ったと覚えていますが、あの頃はずいぶん良くなっていました。しかし日に一度は横にならないと背中を立てておく力がなかったように思います。
その病休の間のことです。あの小さな巡礼の旅はそういう訳で忘れることができません。あの峠を越える山道をクリアできたことが自信になりました。
この狂った政治状況をきちんと捉えられる生徒に育てられたのかどうか自信がありませんね。わたしはまだまだ甘かったと思います。自分に体力がない分、人にも甘かったようです。
高校生になった教え子が社協で「憲法を教えたい」と会を始めたときも、きちんと力になってやれなかった。今それをすごく悔いていますが、なにより人とのつながりをしぶとく粘り強くできなかった自分に腹立たしい。次から次に新しい生徒が入学してくる生活、次々に目の前の生徒に追われるのですよね。なにか今になって、やっと時が普通の速さになったような。
ののはな
2017/05/24 21:35
こんにちは!
私は今もまだバタバタとした暮らしをしています〜。
ののはなさんの真直ぐな生き方から、いつもたくさんのことを考えさせてもらっています。今の政治をこんな風にしてしまった責任は私たち世代にもあるような気がして、なんとか自分にできることをしたいと思っていますが、政治状況の急激な変化が怖ろしい程のスピードで悪化していることが何ともやりきれません。
息子の都議会選挙ももうすぐ、彼はかれなりに自分の考えに真直ぐ向かうつもりのようです。

若い時に受けた恩にきちんと感謝がしたくなり、遠くまで足を運びました。今できることをしっかりしなければ…と、この年齢になるとひしひしと感じます。
komichi
2017/06/13 16:13

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