石田雄 ― 軍隊体験者が次の世代に遺したいこと

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去年の6月
朝日新聞の「声欄」に
こんな声が載っていた

特攻隊員の本
『陸軍特攻 振武寮  生還した特攻隊員の収容施設』
を読んでいたわたしには
すごく説得力のある言葉として胸に迫ってきた





*朝日新聞 2014-6/10 「声」 『人殺しを命じられる身を考えて』 
       (石田雄(東京都 91)

 積極的平和主義であれ、集団的自衛権の解釈によってであれ、海外での武器使用を認めることになれば、敵とされた人を殺す任務を果たす兵士が必要となります。旧日本軍の兵士であり、政治学を研究してきた一人として、安倍晋三首相には、こうした人のことを考えて政策決定をしてほしいと思います。

 私は、米英帝国主義からアジアを解放する正義の戦争だと思っていた軍国青年でした。しかし学徒出陣を命じられた時、どうしても人を殺す自信が持てませんでした。せめて見えないところで人が死ぬ方がいいと、海軍を志願しました。体が弱くて認められず、陸軍の要塞(ようさい)重砲兵を命じられました。目の前で人を殺さずに済むと安心しましたが、軍隊はそんな生やさしいものではありませんでした。

 命令されれば、誰でも、いつでも人を殺すという訓練をするのが軍隊でした。捕虜になった米兵を殺せという命令が出た時でも、従わないと死刑になるという問題に直面しました。

 戦争で人を殺した兵士は、ベトナムやイラクで戦った米兵を例にとっても、心の問題で悩んでいる人が少なくありません。殺人を命じられる人の身になって、もう一度、憲法9条の意味を考えてみて下さい。




さらに日刊ゲンダイに
石田氏のインタビュー記事が載った
彼の言いたいことが凝縮されている

わたしたちは今声を大にして「非戦」をいわなければならない!
それがわたしにできること






       ・・☆⌒"°・*“☆”・⌒・☆。⌒"⌒☆




東大名誉教授・石田雄氏 「戦争に向かった戦前と似ている
       (2014年7月7日 日刊ゲンダイ)より

この投書が話題になったのは、石田氏は戦争の生き証人であるだけでなく、その生涯をかけて、「どうしたら、二度と戦争を繰り返さないか」を研究してきた学者であるからだ。投書した老学者の目に、いまの安倍政権はどう映っているのか。

@学徒出陣した私には首相のいかがわしさがすぐ分かる

――なぜ、投書を書かれたのか。やむにやまれぬものがあったのでしょうか?

 私は軍国青年だったんですよ。自分がなぜ、そうなったのか。それを明らかにするために研究者になったんです。二度と戦争を起こさせないために政治学、社会科学を研究してきたつもりでしたが、こういう時代が来ちゃった。

――こういう時代とは?

 戦前、戦争に向かっていった時代と非常に似ていますね。しかし、この年ですから、デモにも行けないし、官邸前で大きな声を出すわけにもいかない。社会科学者として何ができるか。切実に考えて、やむなく、朝日新聞に投書したのです。

――具体的には、どの部分が戦前と似ているのでしょうか?

 私は「日本の政治と言葉」という本を書いた際、「平和」という言葉が歴史上、どういうふうに使われたかをフォローしたことがあるんです。平和というのは最初は、非暴力という意味で使われる。しかし、日本においては次第に東洋平和という使い方をされて、日清、日露、日中戦争において戦争の大義にされていく。これは日本の戦争に限った話ではなく、ありとあらゆる戦争の言い訳、大義名分に「平和」という言葉が利用されてきたのです。唯一の例外がナチス・ドイツの侵略ですね。こういう歴史を見ていれば、安倍首相が唱える「積極的平和主義」という言葉のいかがわしさがすぐわかるんですよ。

――平和という言葉の使い方がまず、そっくりだと。

 それと排外的なナショナリズムのあおり方ですね。積極的平和主義と排他主義が重なり合うと、非常に危険な要素になります。平和とは非暴力であり、非暴力とは敵を憎まないことです。敵を理解することで、問題を解決しようという考え方です。しかし、今の安倍政権は中国、韓国を挑発し、緊張をつくり出している。そこに積極的平和主義が重なるものだから、危ないのです。

@もう一度「国のために死ね」と言うのか

――靖国参拝がいい例ですね。

 論外です。戦争体験者として、個人的な意見を言わせてもらえば、誰がお国のため、天皇陛下のために死んだものですか。みんな無駄死に、犬死にだったんですよ。歴史学者の藤原彰氏の調査によれば、戦死者の6割が餓死だったという。特攻隊だって、どうせ死ぬなら、美しく死のうとしたわけで、誰も喜んで死んだわけじゃない。それを美化し、首相が「尊崇の念を捧げる」などと言うのは「もう一度、国のために死んでくれ」という宣伝だと思う。死んだ人の霊を慰めたいと言うのであれば、それは二度と戦争を起こさないことなのです。

――政府は集団的自衛権の行使についても、限定的であって、戦争する国になるわけじゃないと主張しています。

 海外の邦人を保護するため、と言っていますね。この理屈も戦前と似ています。1932年の第1次上海事変の直前、日本人の僧侶数人が殺傷される事件が起こった。日本政府は邦人の生命を守るという名目で、上海の兵力を増強し、戦闘が拡大。その後、本格的な日中戦争になりました。個別的自衛権であれば、「日本の領土内に攻め込まれたとき」という歯止めがかかりますが、邦人保護という名目で海外に出ていけば、歯止めがなくなってしまうのです。

――駆けつけ警護はどうですか?

 アフガニスタンで援助活動をしているペシャワール会の中村哲代表は「自衛隊が邦人救助に来るのは危ないからやめてほしい」と言っています。実際、ペシャワール会は日本がインド洋の給油活動をする前は、車両に日の丸を掲げて活動していた。それが守り札になったからです。しかし、給油活動を境に日の丸を消した。米国と一体と見られる懸念があったからでしょう。集団的自衛権による武力行使や集団安全保障による制裁措置に自衛隊が参加すれば、ますます、憎悪と攻撃の対象になる。もうひとつ、集団的自衛権で海外に出ていけば、おそらく、米軍の傘下に入る。邦人がいなくなったから帰ります、なんて言えるでしょうか。米軍は無人機で攻撃する。一般市民が巻き添えになれば、その恨みは陸上で展開している自衛隊に向く。こうなる可能性もあるわけです。 

――戦後70年間、せっかく平和国家としての地位があるのに、あえて、それを捨てて、恨みを買う必要があるのか、ということですね。

 言葉がわからない地域で武力行使をするのがいかに危ないか。イラクに駐留する米軍が「止まれ」という制止を振り切った車両を攻撃したら、殺されたのは、お産が近づき、病院に急ぐ妊婦だったという報告もありました。相互理解がなければ、どんどん、紛争は激化してしまう。それよりも、日本は戦後一人も海外で人を殺していないというプラスの遺産を生かすべきです。非武装の支援に徹すれば、外交的パワーもついてくる。その遺産を今、食い潰してしまうのは誠に愚かなことです。

@首相は他者の気持ちが分からない人

――先生は殺せと命じられた身にもなってみろ、と投書で書かれましたね。

 私の父親は二・二六の直後に警視総監になったものだから、寝るときも枕元に拳銃を置いていた。父親は神経がもたず8カ月で辞任しましたが、私も武器恐怖症になって、不眠症が続いた。学徒出陣となって、徴兵検査のときは兵隊に行くべきだと思っていたが、人を殺す自信がなかった。東京湾の要塞重砲兵に配属になったのですが、軍隊というのはいつでも誰でも人を殺せる人間を作る。そういうところなんですね。敵を突き殺す訓練をやらされ、「そんなへっぴり腰で殺せるか」と殴られる。命令があれば、それがいいか悪いかを考えちゃいけない。なぜ、それをやるのかを聞いてもいけない。幸い、負け戦でしたから、敵が攻めてきて殺されるのを待っているような状況でした。そんな中、東京空襲に来た米軍の戦闘機が東京湾に墜落して、パイロットが泳いできたんですね。捕まえて司令部に報告すれば、「殺せ」と命令されるかもしれない。捕虜を殺すのは国際法違反です。しかし、命令に背けば、陸軍刑法で死刑です。これは大変なことになったと悩みました。

――しかし、命令する側は平気で「殺せ」というわけですね。憲法解釈を変えれば同じような境遇に自衛隊員も置かれる。殺される方もたまらないが殺す方も大変だ。そういう国に戻そうとしている安倍首相という政治家をどう見ていますか?

 自分よりも不利な人の立場で物事を考えられないのだと思います。他者感覚の欠落、共感能力の欠如というか、ずっとチヤホヤ育てられると、そうなっていくのかもしれません。デンマークの陸軍大将、フリッツ・ホルンは戦争絶滅法案なるものを提唱していて、開戦後10時間以内に元首、首相、閣僚、議員を最前線に行かせる。そういうことを決めれば戦争はなくなると言っています。そういう立場に立たされれば、積極的平和主義なんて、簡単に言えるわけがないのです。

――国民も正念場ですね。

 一番恐れているのは沈黙の螺旋です。出る杭は打たれるからと黙っていると、その沈黙がだんだん広がって誰も声を出せなくなる。若い人の方が「出る杭は打たれる」と心配するでしょうから、ここは年長者が声を出さなければいけないと思います。




その石田さんが
NPJ通信・連載記事にきちんと寄稿されていた
これを見つけたときは感動してしまった
集会で会った友人にも印刷したものをもって行ったほど
彼の思いをみんなで共有したい




     ・・☆⌒"°・*“☆”・⌒・☆。⌒"⌒☆





新連載 石田雄 ― 軍隊体験者が次の世代に遺したいこと
http://www.news-pj.net/news/11721

第1部 もう一度戦争を始めないために


第1回 過去の経験から感じる恐ろしさ

2014年11月29日

・・・・石田 雄(いしだ たけし)

1923年6月7日生まれ。旧制成蹊高校から旧東北帝国大学法文学部に進学、在学中に学徒出陣し、陸軍東京湾要塞重砲連隊へ入隊。復員後、東京大学法学部を経て、東京大学社会科学研究所教授・所長、千葉大学法経学部教授などを歴任。著書多数。 ・・・・



私は2015年で92歳になります。今や数少ない軍隊体験者として、軍国青年になったことの反省のため長年政治学を研究してきた者として、安倍政権の政策に非常な危機感を持っています。本当であれば、デモなどで自分の意志を明らかにしたいのですが、身体が思うように動きません。それで、この場をお借りして、次の世代への「遺言」を語りたいと思います。不定期の連載ですが、ぜひともお読みください。



特定秘密保護法の制定や集団的自衛権の閣議決定などで、日本が戦争への道に進むのではないかという危機感を多くの人が持っている。それに対する批判や怒りの声を上げている人も多い。しかし、批判や怒りの表明にとどまっていることがほとんどで、危機感を持っている人が何を目指して、どのような方向に歩み出せばよいのかについて触れる論考は多くない。4回にわたる第1部では、1回目で問題提起を行い、2回目以降では一歩でも前に踏み出すための提言を行う。

最近の日本での政治的動きを見ていると、過去の戦争に兵士として動員されたひとりとして、恐ろしい予感がしてならない。一体、どの点で前の戦争に向かった点と共通しているのか、どの点で違うのかを明らかにして、もう一度戦争に向かうことを防ぐ方法を考えよう。

■思想言論の自由への制限

まず似ている点から見てみよう。ひとつは特定秘密保護法の実施に伴って、言論・思想の自由が脅かされようとしている問題だ。私が生まれて2年後の1925年に普通選挙法と抱き合わせで治安維持法が制定された。「国体を変革」する組織を禁止するという名目で、最初は共産主義者が取り締まりの対象となった。しかし、「危険思想」を持っているという疑いによって、取り締まりの対象はどんどん広がった。出版法なども加わって、取り締まる相手は共産主義者だけではなく、共産主義に反対していた自由主義者も軍国化に反対するというので逮捕、処罰されるようになった。こうなると、軍国主義化の流れを止めることは不可能になった。

今日の特定秘密保護法は、国家の安全保障のために必要だといわれている。しかし、何が秘密であるかが明らかでなく、それを知っている公務員だけではなく、知ろうと「煽動・教唆」した一般人も対象とすることになっているのが危ない。軍事化に反対する言論がその主張のために情報を求めようとすること自体で逮捕される危険を伴うということになれば、かつて戦争に反対する言論が一切封殺された事態を繰り返すことになる。

この危うさは、最初は気づかない中に、次第に取り締まり対象が広がり、気づいた時にはどうにもならないという「ゆでガエル」現象が起きることである。戦前には、最初は共産主義者だけだから、自分は関係ないと思っているうちに、やがて戦争に反対する一切の言論が封殺されることになった。

■排外的ナショナリズム

もうひとつ戦前と今日の状況の類似点として危惧されるのは、排外主義的ナショナリズムが経済的な困難に伴う不安や不満を敵への憎悪に誘導するということだ。1930年代には世界恐慌の影響で貧しい農村では、「娘売ります」という広告が出されるほどで、「非常時」だといわれた。その困難を克服するためには、「生命線」としての「満州」に進出することが必要だというので、関東軍は自ら南満州鉄道を爆破した。そして、これを中国人がやったとして、それを口実に軍事行動を始めた。そうなると、軍事行動に反対する意見は弱腰であり、それをいう者は「非国民」だと非難され、多くの人は沈黙する。勇ましい軍事行動を支持する世論に支えられ、戦線は次々に広げられた。そしてアメリカからの石油輸出禁止に対して、中国からの撤兵という条件ではとても世論を説得できないと対米戦争に至った。

今日の事態は、軍部の発言権は強くないから、当時とは違うというかもしれない。しかし、最近の「反日」や「非国民」「売国」などの言葉が横行する状態は、経済格差に伴う不安や不満が社会に充満しているだけに、それを国の内外の敵へと誘導する動きとして、同じような危うさを感じさせる。

それは単なる一時的な感情的反応で、心配する必要はないという人がいるかもしれない。しかし、例えば自治体の広報誌に憲法9条を詠み込んだ俳句を載せないようにしたり、自治体のイベントに「9条の会」の参加を拒んだりする動きが出てきている。これは面倒なことになるといけないから、「政治的」なものは遠慮してもらうという形での自主規制にほかならない。

■平和のための戦争の危うさ

このようにして、軍事化を防ごうとする言論が不自由になることは、愛国心をめぐる忠誠競走を生み出す危険性と表裏をなしている。かつての戦争では「東洋平和」のための戦争を勝ち抜くことが日本の繁栄のために必要だといわれた。それと同様に、今や「積極的平和主義」によって、世界のどこでも武力行使をすることが日本の繁栄に貢献するといわれるようになってきている。

武力行使の名目は、過去の戦争でも在留邦人の生命を守るためといわれた場合が多い。日本人の生命を守るためということで一度武力行使がされれば、当然報復攻撃があり、それに伴って、戦火は拡大した。今日でも同じ結果が予想されるだけでなく、人の移動が自由になり、武器も高度化・小型化したため、報復は日本国内でのテロという形で行われることも十分に予想される。

武力行使によって、自衛隊に死者が出たら、どうなるか。その死を無駄にするなと敵への憎悪が一層強くなることは過去の例からも明らかである。さらに自衛隊への応募者が減ることによって、徴兵制の可能性も考えなければならない。わたしは1943年学徒出陣で入隊し、殺人を使命とする軍隊という組織で毎日のように殴られる経験をした。今や数少なくなった、そのひとりとして、次の世代が徴兵され、殺人を使命とする組織に参加させられるようになるのを黙って見過ごすわけにはいかない。では、どのようにすれば、戦争につながる今の危うい道を阻止することができるだろうか。3回に分けて、考えてみよう。(続く)








第2回 沈黙のらせんを起こさないようにする

寄稿:石田雄 2014年12月6日



かつて日本が戦争に向かう過程において、一番決定的だったのは「沈黙のらせん」が起こったことだった。一度戦争が始まると、多くの人は、それに反対するのは「非国民だ」と非難されることを避けるために、沈黙してしまった。そして、ひとりが沈黙すると、他の人も同じような恐れをいだいて、黙ってしまう。こうして、戦争に反対する声が消えてしまったのである。

■自分の考えを発言する勇気を

今日の日本では言論の自由があるので、その心配はないといえるだろうか。前回も述べたように、すでに今でも「そんな政治的発言は載せない方が安全だ」という形で、自治体の広報誌にも自主規制の傾向が見られる。他方ではNHKの会長に、「政府が右といっているのに、左というわけにはいかない」という人物を任命して、政府の広報機関にしようとする動きがある。そのほか、週刊誌も販売数を増やすために、「売国奴」や「非国民」への非難を大きく扱っている。言論の自由が建前としてあっても、実際のジャーナリズムの世界でそれが十分に生かされているとはいえない。

そうだとすれば、大切なのは主権者である国民一人ひとりが自分で考え、判断し、考えをはっきりという勇気を持つことだ。そうしないと、ヘイトスピーチはおかしいと思っていても、黙っていることで、その影響力はさらに大きくなり、道理のない憎しみが沈黙を一層拡大させることになる。もちろんひとりで反対するのには勇気がいる。しかし、誰か他の人と話しをしてみると、多くの人が自分と同じ不安を持っていることに気づく。とくに自分の属している組織の中ではなかなか言いにくくても、組織外の人と話すことで自信を得て、組織そのものを動かすという場合もある。

3・11の原発事故の後、NHKのスタッフが外部の研究者と協力して、いち早く放射能の汚染状況を明らかにして、番組を作ったことがある。番組は『ネットワークでつくる放射能汚染地図』としてシリーズ化されたが、NHKのディレクターやプロデューサーが社外の専門家に話すことで、連鎖的に協力の輪が広がっていった。現在の状況に危機感や不安を抱く人はあちこちに存在しているので、そうした人たちとつながることで自分自身も自信を持つことができるし、つながった相手も同じように声を出す勇気を得ることができる。

■既成事実の重さにどう抵抗するか

むずかしいのは既成事実の重さに抵抗することだ。1932年上海事変のきっかけになったのは上海で日本人僧侶が中国人に殺されたことだった。それで日本政府は軍を増強し、中国軍と戦闘になったが、その殺人事件は日本軍が工作して、やらせたものだった。しかし当時はその事実は判明しておらず、軍と政府は世論の支持を得て、上海事変を拡大させていった。そのように戦線の拡大は常に既成事実の積み重ねによって、行われてきた。

今日でも、沖縄・辺野古への基地建設は決まったことだから、やらなければならないと政府はいう。しかし、その決め方がどうだったのか。普天間基地からの移転によって、基地は大きく強化されることになることが日本の選択として、ましてや沖縄にとってよいことなのか。政府は「過去のこと」だということに対して、こうした問いかけを常にしていくことが必要だ。そして、その中で、よりよい選択を探していくことが既成事実の積み重ねに抵抗していくことになる。

既成事実を問い直すために、必要なのは権力から遠くにあって、犠牲を強いられる人たちの意見の尊重である。いうまでもなく、安保体制(基地問題)については、日本の0.6%の面積しかないにもかかわらず、全国の米軍基地の4分の3が集中している沖縄の声が尊重されなければならない。その際、沖縄では安保体制を支持する世論は全国の十分の一であることも見ておく必要がある。

既成事実を問い直すことなく、逆にその重みを利用するのは、それによって失うものはなく、むしろ利益を得る権力の側である。過去に戦争の拡大という既成事実を利用したのは、直接殺人を命じられる兵士の意見、そして意見をいうことは難しいが、その武力行使によって殺される民間人の立場を考えることのない指導者たちであった。戦争末期、「一億玉砕」を命じた軍の司令官達は長野県松代の地下壕に入って、命令を下すことになっていた。

■権力からの発信への批判

このような過去の事例をみれば、思想・言論の自由を考える時、とりわけ権力からの発信に対し、あるいは政府の決定に対する批判が必要だ。どのような権力も批判されないと腐敗する。とりわけ軍事に関することは秘密にする必要があるという理由で、特定秘密保護法のように情報に統制がかけられる。そのため、放っておくと、知らない間に新しい兵器が購入され、それが隣国を刺激して軍備拡張競争になり、国際的な緊張を高める結果にもなる。 原発についても、それが核武装のための潜在力として開発されたことは、非公開だった1969年の外務省文書で明らかになった。

このような戦争に向かう軍事化に、どうしたら言論の力で歯止めをかけることができるのだろうか。一度武力紛争が起こり、自衛隊に死者が出たりすると、敵を憎悪することに反対するのが一層困難になる。そのため、武力紛争になる前に勇気を持って、反対の意思を表すことが求められる。

その場合、意見をいうことがむずかしい、犠牲者たちの声に、どのようにして耳を傾けるかが大きな課題となる。軍事化はその過程において、すでに犠牲者を生み出している。基地の存在にともなう事故や犯罪(その処理は日米地位協定により、日本の裁判によらない場合が多い)によって、様々な被害を被っている人が多数存在する。これに対しては、殺人効率増大を主な任務とする軍事組織そのものを問い直すことが必要となる。憲法9条を持つ日本の主権者として、私たちすべてがこの課題にどう取り組んでいくのか、それは原爆の被害をうけた日本人として、真剣に考えなければいけないテーマである。(続く)






第3回 離れて憎むより接して対話を

寄稿:石田雄 2014年12月15日



過去の戦争では、政府や軍部は「暴支膺懲(ぼうしようちょう=乱暴な中国をこらしめる)から「鬼畜米英撃滅」というスローガンで、国民の憎しみを駆り立て、戦争に動員した。挙げ句の果てに、破局を迎え、敗戦に至った。今また、「反中嫌韓」の空気が強くなり、排外的ナショナリズムの傾向が目に余るようになってきた。これは国内での経済的困難に伴う不安や不満を内外の敵への憎しみに誘導しようとする意味において、戦前と共通の動きである。この傾向は戦前の経験から明らかなように、戦争への道を歩む危険性を十分に持っている。ただ今日の特徴は、グローバル化の進行に伴うマイナス面とプラス面の両方があることで、それが戦前とは大きく異なっている。

■グローバル化の消極面

今日、日本における格差の拡大、貧困の増大は、これまでとは比べものにならないほどの世界的な一体化の中で起こっている。「富める1%が99%を支配する」というのはアメリカの現象であると同時に、世界的な現象でもある。それは人と物の移動が国境を越えて、自由になったことの結果でもある。作家の雨宮花凜が一時右翼団体に入ったのは、「韓国から来た人が低賃金で働くから、日本人には働き口がない」といわれたからだと告白している。

世界第2位の経済大国といわれ、経済成長を誇っていた日本ではバブル崩壊後、新自由主義的経済思想によって、弱肉強食を肯定する社会進化論的な考え方が一般化した。これは明治初年に天賦人権説を紹介した思想家で後に東京大学総長になる加藤弘之の社会進化論への転向と似た現象ともいえる。

しかし、家父長制的家族意識と結び付いて、天皇は国民の父であり、国民はその赤子であるという家族国家論と結びついていた戦前と違い、極端にドライなのが今日の社会進化論である。一方では強者の支配を正当化し、他方では弱者・敗者は自己責任論を内面化して、自分から口を閉ざしてしまう。このような中での排外的ナショナリズムは、憎しみの感情で自分の不安を解消すると同時に、非情な形で犠牲者を切り捨てる。それが犠牲にされた者の報復を一層残虐なものとする。それは9・11事件以後各地で見られるテロに示された。

■グローバル化の積極面

一方で、グローバル化には積極面もある。例えば、今日では国際結婚が増えてきて、2012年の全婚姻件数の3.5%を超えるまでになっている。そのため、生活の中で全く外国人と触れる機会がないという人の方が珍しい。問題はそうした接触の機会をどう生かすかにかかっている。よい例のひとつが中国から日本に留学している高校生が日本の高校生とお互いの歴史教科書を見せ合い、その違いを比較して、なぜそうした違いが生まれたかを考える対話をしたことである。

私自身、積極的に対話の機会を増やそうと努力している中国からの留学高校生や日本の高校生たちと対話をしたこともある。彼ら・彼女らは「日中韓の過去・現在・未来を高校生で考えよう」と交流会や勉強会、日中韓高校生未来サミットなどを開いている。今日では主権国家の政府による外交だけでなく、国境を越えた民間の対話のための努力が個人やNGOなどの諸団体を通じても進められていることは、戦前には見られなかった積極面の重要な点である。

■非軍事化への民間の動き

今日の軍事化がグローバルな文脈で進められていることは、日本のようなアメリカへの軍事的従属が明確な場合には特に注意を払うことが必要だ。しかし、非軍事化に向けた民間レベルでの動きについても、軍事化に対抗する要素として等しく注目されるべきである。地雷やクラスター爆弾のような非人道的兵器について、世界のNGOは禁止するための活動をしてきている。その働きかけが大きな力となり、1999年には対人地雷禁止条約、2010年にはクラスター爆弾禁止条約がそれぞれ発効している。

同じ民間交流でも、経済の領域では、しばしばODAと関連するなど政府も関与し、武器輸出や不平等な関係での取引もあり得る。しかし、この領域でもフェアトレードという形で、第三世界の草の根の経済を支えようとする動きも見られる。

先進国では途上国からの労働力流入を利用する面があると同時に、移民労働者に職を奪われるという危惧から排外主義政党が勢力を伸ばしている傾向が見られる。そうした中で、世界的な規模での平和で持続的な発展の実現を目指すためには、次回で検討するように自国内での草の根からの経済の再構築を考えることが求められる。それと同時に、国境を越えた人の移動に伴う憎悪を防ぎ、対話による問題解決を考えなければならない。そのためには、途上国支援の方法を検討すると共に、国内における格差を是正することで、移民労働者に対する憎悪や排斥という形で不安と不満を利用しようとする政治勢力を抑えることが必要である。

政治と外交の領域で考えれば、まず政治の領域では、各主権国家の中で国内の不安や不満を排外的憎悪に誘導させないように、政府に経済格差や貧困に悩む人たちの不満解消のための施策を行わせるために、民間からの圧力をどのような形でかけることができるかがカギである。この点に関しては前回で述べた声を出せない弱者や被差別者の声を政治の世界に反映させるような運動が必要となる。

一方、外交に対しても、武力に依存した対抗ではなく、非軍事化に向けた解決策を模索するように、働きかけを強めていく必要がある。同時にNGOの国際的連帯の強化によって、地球的規模での非軍事化への圧力を大きくしている努力が求められる。具体的には、非核と軍縮に向けた地球的規模での世論の形成が期待される。




第4回 持続的な平和的な生活を草の根から世界へ

寄稿:石田雄 2014年12月23日



幕末に開国してからの日本は、ひたすら富国強兵によって、先進帝国主義諸国に追いつこうと努力し、その結果は15年余りの戦争の後に敗戦に終わった。戦後は平和憲法の下で、経済成長によって先進諸国に追いつき、追い越すことをめざして、世界第二の経済大国となった。しかし、1990年代初めのバブル崩壊後は成長の鈍化と財政危機だけでなく、少子高齢化による構造的な危機に直面しているともいえる。

■愛国心は悪いのか

このようにして、日本社会はかつて持っていた自信を失っているように見える。今の若者はバブル崩壊後の「失われた20年」といわれるそうした状況を当たり前のものとして、受け止めている。そうした中、私と話しがしたいとやってきた高校生が、私が述べた愛国心強化への危惧に対して、「愛国心というのは悪いものなのですか?」という質問をした。それに対する私の答えは「日本の歴史の中で何を誇りとし、何を反省すべきかによる」というものであった。

平和憲法を持った日本は、70年近く自国の軍隊が海外で1人も殺すことがなかったということは誇ってもよいことといえるだろう。しかし、他方で1950年代の朝鮮戦争の特需で経済を復興させる足がかりをつかみ、1960年代から70年代にかけてのベトナム戦争の時にも直接戦闘には参加しなかったが、国内の基地が利用され、ナパーム弾の生産などで企業が利益を上げていた。その意味では、加害に荷担していたといわなければならない。それだけでなく、過去の戦争の被害者から現在に至るまで補償を求められているという形で加害者としての責任が問われている。

このような視点から見れば、こうした加害の事実を否定し、それを忘れないことを「自虐史観」として非難する形で排外的ナショナリズムを強めようとする愛国心ははなはだ危険だといわなければならない。また日本の自信喪失を再度の経済成長で克服しようとするのも見当違いの目標というべきだろう。なぜなら、GDPで日本を追い越した中国も、今日では格差の拡大など様々な困難に直面しており、経済成長をめざすことの限界は明らかになっているからである。

■成熟した社会の課題

日本だけでなく、少子高齢化に直面した成熟社会の課題は、もはや経済成長にはなく、持続的で幸福感を持てる社会の形成、維持ではなかろうか。自然環境を破壊し、地球温暖化を招いた従来型の経済成長を続けることは不可能であり、次の世代への責任を考えれば、許されることではない。スローライフが求められたり、幸福指標が注目されるようになったのもそれらが背景にある。

ダムのような灰色のインフラによるのではなく、森林の育成と里山再生による緑のインフラによる治水は、川が流れ込む沿岸の漁業の育成に役立つ。このような里山と里海を結ぶ自然再生による持続的発展がすでに現実的な構想となっている。

この新しい課題に答えるためには、これまでのように中央主導の効率中心の経済構造自体を改める必要がある。草の根から新しい構造を作り上げなければならない。それに取り組んでいる具体例として、財政危機と少子高齢化で自治体が消滅するのではないかという危機に直面した島根県隠岐の海士(あま)町を取り上げる。

存亡の危機に直面していた海士町は「地産地商」(地消ではなく、外に商品として出す)をめざし、サザエカレーや岩ガキ、隠岐牛というブランド商品を創り出すことで、産業振興に努めてきた。

■交流による活性化

とりわけ注目に値するのが若者活動家を外から入れたことである。「若者」「馬鹿者」「よそ者」がいれば、町は動くという山内道雄町長(2002年就任)の信念の下に、商品開発研修生を外から招いた。そのような様々な努力の結果、3年間で78世帯が増え、年間出生数も10人から15人に増加した。

そのほか町内町外半数ずつの小中学生によるアドベンチャーキャンプや未就労者の若者を招いた若者島体験塾などを開いた。これによって、外から呼び寄せた若者との交流を深めるだけでなく、人間力推進プロジェクトで真の豊かさを見つめ直した海士中の中学生が一橋大学で講義するという形で、島外に出て交流に努めている。さらに、外国人学生にホームステイをさせるという国際交流は、国境の島という意識にも支えられた試みである。

海士町の取り組みは課題先進地として、将来の日本が直面する少子高齢社会、成熟社会が直面する課題を先取りして、その解決の方向を見出そうとする努力にほかならない。それは同じような課題意識を持った有能な若者をひきつける魅力となり、そこで作られた若さと自然と人の絆が新しい希望を生み出している。こうして海士町は離島としての不利さを人の利によって、むしろ地の利に転じ、離島から日本を変え、さらには国外からの人とも交流することで、世界を変えようとしている。

■危機から希望へ

確かに今、私たちは戦争に向かうかどうかの岐路に立っている。その危機には長い歴史的な背景もある。それだけに、危機克服の課題は困難で重い。しかし、他面では、これまで見てきたように、その危機を乗り越えようとする積極的な要素もさまざまに存在する。主権者である私たちが何とか力を合わせて、この危機を克服し、平和志向の日本を草の根から創り出すことによって、世界のすべての人たちの平和的生存権を尊重する方向への流れを少しでも強めていけることを願っている。あとは強い意思と行動力でのみだ。(第1部完)

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この記事へのコメント

2015年02月12日 10:57
ののはなさん(^^)
おはようございます。
昨日の建国記念日の日、
『2.11  新教・思想・報道の自由を守る宮城県民集会』に
歌で出演してきました。
その後、『浜 矩子』さんの
『正義と平和が抱きあう時ーいがみ合いの向こう側を目指して』
の講演を聴き、デモ行進して、打ち上げして、カラオケして帰ってきました(笑^^)
浜矩子さんの講演会は、昨年のある集会でも聴き歯切れの良い言葉と話し方に聞き入ってしまいました。
『アホノミクス』『どアホノミクス』の言葉や
①『人間と経済の関係』②『正義と平和の関係』
『人間のために泣くことが出来る 人の痛みがわかる経済活動』
『もらい泣きができるのは、大人』
『黄金バランス70代』
などなどの言葉が耳に残っています。
今回の髪の毛の色は赤ワイン色でしたよ(^^)
お洋服とマッチしていました(^^)
ここんとこ、こういう集会にたくさん出演します。

> 殺人を命じられる人の身になって、もう一度、憲法9条の意味を考えてみて下さい。

この言葉・・・。その通りですよね・・・。
ちょっと時間がありませんので、またおじゃまします


ののはな
2015年02月12日 22:48
゚♡゚。詩音連音さん゚。♡
すてきな集会で歌を歌われているのですね。すばらしいことですね。羨ましい・・・歌がうたえない者としては。でも聴くことはできます。
>新教・思想・報道の自由を守る
これはとても大切なことですね。で「新教」は「宗教」と気がつきました。ですよね。心の自由がとても大切。でもこの石田氏が述べておられるように、日本の今はとても怖いです。戦前とほんと同じです。今日は、孫がピアノの練習の間、「国会が死んだ日」を読んでいました。

詩音さんのそうした地道な闘い方、とてもいいですね。まさに戦前と同じにおいがする国会。わたしたちはちゃんと物を考え、物を言い、お互いを信頼し合って生きてゆきましょう。石田氏が言うように、孤立して物言わなくなったら終わりです。今この本を読んでいるのは、そうやってどんどん物言えなくなっていく時代を学ぶことで、今の時代のどこに楔を打ったらいいのか知るためです。昔と違うのは、このネット社会で、間違った情報がどんどん蔓延されていることです。国家は意図的にそうした人々を勢いづかせています。当たり前に考えればわかるのに、そうした言葉に騙される人々が多いです。
 浜さんの言葉気持ちいいですね。こうした自由人がたくさん生き延びられますように。詩音さんもがんばってね~
ののはな
2015年02月12日 22:50
゚♡゚。詩音連音さん゚。♡
この本のタイトルは「開戦、東条英機が泣いた」です。保阪正康さんの「昭和史の大河を往く 第二集」です。
今日読んだ中から・・・
 昭和12-1.21浜田国松議員は新国会で、「近年の我が国情は、特殊の事情により、国民の有する言論の自由に圧迫を加えられ、国民はその言わんとするところを言い得ず、わずかに不満を洩らす状態に置かれている」「軍部は近年自ら誇称して・・・独裁強化の政治的イデオロギーは常に滔々ととして軍の底を流れ、時に文武恪順の堤防を破壊せんとする危険がある」と2.26後の陸軍の動きを激しく批判。昭和11年から軍務課に内政班がつくられ、内政班の将校たちが軍服姿で傍聴席に座り、反軍的な政治家への圧力を加えるようになっていたのです。で、この浜田氏の発言に陸軍省が黙っているわけがなく、国会の解散に。国会はそこにあるだけの存在になった。天皇は軍部を押さえてくれる内閣をと願うが、陸軍は天皇を神格化して利用するだけ、天皇の思いを軽んじる。・・・
詩音連音@再び
2015年02月13日 04:13
あらら・・・。
急いで書き込みしたものですから、読み返していませんでした
『信教・思想・報道の自由を守る宮城県民集会』
です。
http://www.ne.jp/asahi/grass/roots/211miyagi/

>戦後70年間、せっかく平和国家としての地位があるのに、あえて、それを捨て て、恨みを買う必要があるのか、ということですね。
全くその通りです。
ワタシは『戦争を知らない子ども達』ですが、中2の夏休みの時に山形大学うたごえサークル「ともしび」の皆さんとうたう会をしました。
その時に歌った「ぼくの飛行機」「飛び立とう」など、田舎者のワタシにとってはあまりにも新鮮で、学生のお兄さん、お姉さんがとても大人に見えて憧れました(^^)そういう印象が強かったからか、社会人になって直ぐに「山形センター合唱団」に入団しました(笑)
何も知らない田舎者には「こういう世界があるんだ」とただただ面白かった記憶があります。こういう事を学べて良かったです。

>一番恐れているのは沈黙の螺旋です。
デモ行進の時、金髪の青年が日の丸の旗を持ちながら叫ぶんです。
「あなたたちの気持ちもわかります。」って。
親分から「お前行って来い」って命令されて、叫んでるんですよねェ~(^^;)
まだ10代の可愛い男子でした。
出逢う人が違うとこうなってしまう・・・。
「こっちにおいで、一緒に歩こう」って誘いましたが・・・(^^;)
無視した方がいいと言われ、真っ当な道を歩んで欲しいと願いました。

>「開戦、東条英機が泣いた」
本屋さんで見てきますネ。
2015年02月13日 15:21
朝日の「声」欄、見逃してました。
6月の頃よりもまた更に一段と
キナ臭くなってきた昨今、
一つ一つの言葉がストレートに心に響きます。
珊底羅
2015年02月15日 18:47
 今晩は。
 行動に起こさなくても心痛している人は沢山いると思う。長いものに巻かれろに靡くから、悪いほうにどんどん流れてゆく。瀬戸際にあると思う、させたくないのなら批判はするべきです。
 イスラム国ができたのは米のイラク戦争が原因だそうだ。小泉が支持したのは忘れることはない。高々、石油利権のために。実に下らない。
ののはな
2015年02月18日 22:58
゚♡゚。詩音連音さん゚。

こちらこそ。。。あらら信教でしたね。
中のときですか。すばらしい出会いがあったのですね。山形センター合唱団ですか。歌がお好きだったんですね。そしていい世界に飛び込まれましたね。若いあなたのエネルギーの発露の道が開かれたのですね。私事・・・山形って一度だけ行きました。廃村を歩きたかったので、叱られそうですね。で、予想以上に素敵でした。あの日のことはいつまでも脳裏に焼き付いています。道ばたに咲いていたハーブのことも。
 今わたしたちができること、それは「沈黙の螺旋」をつくらないようにすること。マスコミはもう自粛ムード。物言えば唇寒しどころか、降板だぞ~ですものね。
10代の可愛い男子でしたか。その子には十分面倒を見てくれるいい人がいなかったのでしょうね。昔教えた子がうちに来ることがありました。「先生よ~○○まで行かなきゃいけないんだよ。そこへ行けば金がもらえるんだけど、そこへ行くまでの金がないんだよ。日教組やっつけに行くんだ」「へえ~わたしも日教組に入っているけど、○○まで行かなくてもここでいいんじゃない」「げっ」「だいたい日教組ってなにか知ってるの」「いや~・・・共産党だろ」「ブ・ブッ~これだからな~、そのなに?あんたのいう兄貴っていうのは、そんなに面倒見てくれるの?それだからいいの?」
なんか、あの日のこと思い出しちゃったよ。ほんと、あなたもあの子のその後が心配でしょう?
ののはな
2015年02月18日 23:06
゚♡゚。yasuhikoさん゚。
ほんと、あっという間ですよ。今必死で昭和史の勉強をしています。ほんとわたしは無知だったのです。そうすると、この石田さんが心配されていることがすごくわかるんです。ただ今は戦前と同じだって言われても、具体的にどこがどうってわからなかったんですよね。「平和」というのは誠に都合のいい言葉ですよね。なるべく具体的に語るようにしないと丸め込まれますね。首相は国会答弁でも抽象的なことしか言わない。そこを野党はもっと詰めてもらいたい。追求が甘い。そこは戦前の筋金入りの国会議員の方が上かもしれませんね。でもその議員たちは軍部に見張られていて、ひとりひとり落とされていく。保阪氏の「開戦、東条英機が泣いた」を読んでいて、恐ろしくなる。
ののはな
2015年02月18日 23:10
゚♡゚。珊底羅さん゚。♡
そうですね。いろんな形で人々は必死に抵抗しようとがんばっている。それがうれしいですね。とにかくこの頃死んだら負けだと思うようになりました。
虐げられた者たちの怨念って怖いですよね。おごり高ぶった権力者にはそれが見えない。さらに圧力を増そうとするだけ。これが世界に戦火が絶えないわけですね。
kagi狸
2015年02月25日 17:46
こんばんは。
最近、ドラマ「永遠の0」を三夜連続して見ていました。
主人公は大正7年生まれの志願兵で、生きて帰りたいと思いながらも身代わりの特攻隊員となってしまった人の物語です。
私の父も大正8年生まれの志願兵で、旧制中学に通っていた時にお寺の坊さんになりたくなくて陸軍に志願し、中国に渡ったのだそうです。
共に戦争の成否など判断せずに志願し、戦争が嫌いになっていくのです。でも生きるためにどうすればよいのかだけを考え、父は傷だらけになって帰ってきました。
人を殺すことにノンと言えない時代を繰り返してはならないと思います。
ののはな
2015年02月25日 19:39
♡゚。kagi狸さん゚。♡
大正8年お生まれなんですか?うちの母もそうなんです。あの時代の人はほんとうに大変な目にあいましたね。今昭和史の本を読んで、いかに自由に物が言えなかったのかがわかりました。ちょうど先日オウム真理教の特集をTVで見ていたのですが、あああの時代もあのような集団マインドコントロールにあっていたんだなって。ノーは死と同じ。お父様もほんとうにつらかったでしょうね。でもお帰りになられてよかったです。
 母の夫はミレー島で餓死しました。今そのミレー島のことも調べていますが、ひどいもの。敵はアメリカではなく、海軍との食料の奪い合いだったのですから。泣きたいですね。母はこれを知らずに死んだのですから、まだ良かったと思わなければ。
もう二度とあんな時代になってもらいたくない。未来の人たちに同じ苦しみを与えたくない。そのために今しばらくはがんばります。
2015年03月04日 10:04
 ののはなさん。旧日本軍や日本の軍人と兵士の事を、正しい調査のないままでの誤解をしないで欲しいです。

それは、韓国軍属の反乱事件を元にした、某放送局によるの捏造、反日放送番組によるものです。

戦争マラリアといい、裏には必ず馬韓国の関係者による賠償問題が必ずからんでいる事に御注意ください。

参考サイト
http://www.ktv.jp/info/press/050815.html

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