日本国憲法誕生!

日本国憲法誕生 全編


[NHK総合テレビ 2007年4月29日放送番組] 2016/02/22 に公開
http://www.nhk-ep.com/products/detail...


日本国憲法誕生
              
  文字起こし責任:ののはな  「ですます調」→「である調」に直し、会話文は出来るだけ放送音に沿った
  
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今年はいよいよ、自民党は憲法改悪をメーンに打ち出した。
この国のすばらしい憲法を、当時の連合国の人びとは心配していたように、改悪しようという勢力が大きくなっている。

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まさに時計の針を戦前に巻き戻そうという人びとの考えで、憲法も戦前に戻そうという考えだ。
彼らに憲法改正の理由を尋ねてみると、「GHQに押しつけられた憲法だから」「自民党の党設立時からの党是だから」とまったく理由にならない答えしか返ってこない。

一体どういう経緯で、世界一すばらしいと言われている「日本国憲法」が作られたのか、きちんと一字一句文字起こしをした。 

10年前の”NHKスペシャル  日本国憲法誕生 全編” をご覧下さい。
あの頃は、NHKも時代の巻き戻りを図る人びとからの圧力に屈していなかったようだ。
当時のNHKの職員に大きな感謝を捧げたい。



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 今から60年前、戦後日本の礎となる新憲法が施行された。
日本国憲法、明治以来続いた天皇中心の国のあり方を根本から替えることになった。
その第1条には「天皇は日本国の象徴である」とされ、主権が国民にあることが定められた。さらに第9条には「戦争の放棄」が謳われ、平和主義が打ち出された。
 国民主権と戦争放棄の条文はどのようにして誕生したのか。憲法は旧GHQ(連合国軍総司令部)下で作られた。マッカーサー最高司令部のもとGHQのスタッフがわずか1週間で草案を作成したとされる。

 GHQ草案をもとに生まれたとされる日本国憲法。しかし新たな資料が公開され、日本人の発案で条文が修正、追加されたことがわかってきた。生存権や義務教育の延長などが議会での自発的な提案によって実現した。さらに戦争の放棄を規定した第9条の修正をめぐる経緯も浮かび上がってきた。

 日本の憲法改正は海を越えたワシントンで新たな議論を呼び起こした。日本の占領政策を管理する極東委員会にGHQ主導の憲法改正に対する不満が高まっていた。特に中国やソビエトの代表は9条の修正が再軍備につながると危機感をあらわにした。
 憲法誕生の舞台裏で繰り広げられたGHQと日本政府の交渉、そしてそれを見つめ続けた国際社会。日本国憲法が生まれるまでの1年を追います。


 1945年8月15日敗戦。日本はポツダム宣言を受け入れ、降伏した。
8月30日、連合国軍総司令部ダグラス・ マッカーサーが厚木に降り立った。日本の非軍国化、民主化という使命を帯びていた。
9月27日、マッカーサーは昭和天皇と会見。天皇を占領政策のなかでどのように位置づけるのかが大きな課題だった。
大日本帝国憲法(明治憲法)で「天皇は神聖にして侵すべからず」とされ、陸海軍を統帥し統治権のすべてを握っていた。

当時GHQは占領政策のなかで,日本の憲法をどのように扱おうとしたのか。

 終戦直後来日し、GHQに勤務することになったミルトン・エスマン(88)。エスマン氏は後にGHQで憲法草案に携わることになる。
「明治憲法は改正するだけでなく,解体する必要があった。我々は当初、日本の民主化と非軍事化という基本的な条件を満たす憲法草案を日本政府が自ら作成することを期待していた。その方が我々にとっても望ましいと考えていた。(エスマン)」

当初、日本政府が憲法改正を行なうことを望んでいたというGHQ。
10月11日、マッカーサーは総理大臣に就任したばかりの幣原喜重郎と面談。
マッカーサーは憲法の自由化は避けられないとして取り組むよう幣原に示唆した。マッカーサーの要望を受けて、政府は憲法問題調査委員会を設置。憲法学者や官僚をメンバーに明治憲法の改正が必要かどうかを研究しはじめた。委員長は松本蒸治(国務大臣)。松本は天皇の統治権を維持し、天皇中心の国家体制、いわゆる国体護持を最優先課題に掲げた。
政府に憲法改正を促す一方、マッカーサーは言論の自由化を進め、これまでタブーとされてきた天皇に関する議論を解禁した。政党が復活し活動を開始、国体護持を掲げる保守政党から天皇制廃止を訴える共産党まで憲法の改正をめぐって議論が活発になった。民間からもさまざまな憲法草案が公表された。
 
GHQは憲法に関する日本の世論を注視していた。民間の草案を翻訳、分析し始めた。
アメリカのトルーマン・ライブラリーにGHQで憲法問題を担当した将校の証言テープが保管されている。マイロ・ラウエル中佐はGHQ民政局法規課長としてGHQが憲法草案を作成する際、中心的役割を果たした人物である。
「民間グループから提出された憲法に感心しました。これで(憲法改正が)大きく進展すると思いました。(ラウエル)」

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 ラウエルが注目した憲法草案、民間の「憲法研究会」というグループが作成したもの(憲法草案要綱)である。そこには「日本国の統治権は日本国民より発す」とあり、国民主権が明確に謳れていた。男女平等や言論の自由など基本的人権の保障し、平和主義の思想も盛り込まれていた。憲法研究会は、戦前から言論界で活躍してきた学者やジャーナリストがメンバーだった。そのほとんどが言論統制で投獄されたり、執筆の場を奪われたりしていた。執筆した論文が元で東大を追われた経済学者の森戸辰男は「天皇は君臨すれども統治せず」とし、政治的権限を持つべきではないと主張した。
憲法研究会の草案で天皇は次のように位置づけられていた。「天皇は国民の委任により専ら国家的儀礼を司る」
草案を詳細に分析したラウエルは報告書を作成。マッカーサー直属の官房長に提出。報告書の中でラウエルは「ここに含まれている条文は民主的で受け入れられる」と記している。
 「私はこの民間草案を使って若干の修正を加えれば,マッカサー最高司令官が満足し得る憲法が出来ると考えました。それで私も民政局の仲間たちも安心したのです。これで憲法ができる。(ラウエル)」と。

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 GHQは民間草案を分析しながら、日本政府からの憲法草案を待っていた。GHQが主導する占領政策、これに激しく反発したのがソビエトだった。

 12月、モスクワでソビエト、アメリカ,イギリス3カ国の外相会議が開かれた。ここで日本の占領を共同で管理する連合国の新たな組織が設置されることになった。極東委員会です。これまで占領政策は,アメリカ政府のもと、GHQが実施していた。しかし極東委員会が発足すると、GHQはその管理下に置かれる。憲法改正には極東委員会の事前承諾が必要になったのだ。ソビエトや中国など日本との戦争に参加した11カ国で構成される極東委員会、その発足は1946年2月下旬と決まった。

 極東委員会には天皇制に厳しい意見をもつ国もあった。太平洋戦争で4万人の死者を出したオーストラリア。今年91歳になるハロルド・ブロック氏は当委員会の代表を務めていた。
「オーストラリアは戦争中の天皇の役割に対してとても批判的な考えを持っていました。天皇は日本の軍隊と密接な関係があったと見なしていたからです。少なくとも天皇を戦犯として調査し、裁判にかけるべきだと考えていました。(ハロルド・ブロック)」
 1946年1月、オーストラリアは天皇を含む戦犯容疑者のリストを連合国戦争犯罪委員会に提出。天皇訴追に向け動き出します。

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 1月24日、首相の幣原喜重郎がマッカーサーを訪問した。天皇をめぐる緊迫した状況が続く中、ふたりだけで行なわれた会談。そこで一体何が話し合われたのか。
 会談の内容を知らせる資料が残されていた。枢密院顧問の大平小松氏が幣原首相から会談の内容を聞き、娘がそれを書き残していた。
 幣原首相がまず次のように切り出す。「自分は生きている間にどうしても天皇制を維持させたいと思うが、協力してくれるか」「天皇制は廃止されるべきだとの強力な意見もでているが、一滴の血も流さず進駐できたのは、全く日本の天皇の力によることが大きい。できるだけのことは協力したい。」
 戦前、外交官として国際協調に努めた幣原首相。次のように述べた。「世界から信用をなくしてしまった日本にとって戦争を放棄するというようなことをハッキリと世界に声明すること。それだけが日本を信用してもらえる唯一の誇りではなかろうか。」
ノートには「二人は大いに共鳴した」と記されている。
 マッカーサーは後に,この会談で幣原首相が憲法の中に戦争放棄の規定を入れるように努力したいと述べたと証言している。このノートには憲法に関する幣原の提案は記されてはいない。

 翌25日、マッカーサーはワシントンに宛て極秘の書簡を送った。
「天皇を訴追すれば日本人の間にはげしい混乱を引き起こし、占領軍を大幅に増員しなければならなくなる。最低でも100万の軍隊が必要となるであろう」天皇は占領政策に必要と考えるマッカーサー。しかし、1ヶ月後に極東委員会が発足すれば,天皇に対する厳しい意見も考慮しなければならなくなる。GHQは日本政府に憲法草案を早く提出するよう再三にわたって求めた。


 2月1日、衝撃的なニュースが報じられた。毎日新聞が、政府の「憲法問題調査委員の改正案」をスクープした。明治憲法の根本原則を変えず、天皇の統治権がそのまま認められていた。GHQは直ちに改正案を翻訳し、条文を詳細に分析、次のように批判した。
「天皇の行為が制限されていない。きわめて保守的である。」

2月4日午前10時、GHQ民政局のスタッフが緊急招集された。
あつまったのは法律や行政を担当するメンバー20人あまり。会議の冒頭、コートニー・ホイットニー民政局長はこう告げた。
「マッカーサー元帥は日本国民のために新しい憲法を起草するという歴史的意義のある任務を委ねられた」与えられた時間はわずか1週間。日本政府だけでなく、GHQの他の部署にも話すことも許されなかった。
 GHQ民政局員のミルトン・エスマンは「とても衝撃を受けました。改革のひとつである日本のためにわれわれのような小さなグループが新しい憲法を作成するという任務を任されることになったのですから。我々がそのような任務を遂行することになるなんて思いもしませんでした。」

極東委員会の発足まで後1ヶ月を切っていた。マッカーサーは極東委員会が動き出す前にGHQ主導で草案を作成することを決断した。
 マッカーサーは新憲法の基本原則を示した。いわゆるマッカーサー・ノートです。その1番目は、天皇に関するものだった。「Enperor is at the head of the state(天皇は国の最上位にある)」。2番目には現在の憲法9条に繋がる戦争の放棄が定められていた。「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍をもつ権能は将来も与えられることはなく交戦権が日本軍に与えられることもない。」
 このなかでマッカーサーは「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。」とも規定。自衛戦争までをも否定している。

 マッカーサーノートを元にした条文の作成。その中心となったのが、運営委員会だった。メンバーは日本の憲法を研究していたラウエル陸軍中佐、ケーディス陸軍大佐、ハッシー海軍中佐の3人。いずれも弁護士としても経験をつみ、自由主義的な思想を持っていた。
運営委員会のメンバーで民政局次長のチャールズ・ケーディス(1992年撮影)。ケーディスはマッカーサー・ノートの自衛戦争を否定した箇所を削除したと言う。ケーディスはその理由を生前次のように答えている。「マッカーサー・ノートの条文には日本が攻撃されたときに防衛する権限をも奪っているようにも思われました。どんな国であれ、自衛の権利は本来的に持っていて当然のものです。自国が攻撃されたら自分たちで守るという権利を否定するのは非現実的だと思ったのです。」その一方で、ケーディスは武力による威嚇または武力の行使をも放棄する」という一文を加え、侵略戦争の否定を明確にした。戦争の放棄の条文は次のようになった。
「国権の発動たる戦争は、廃止する。いかなる国であれ他の国との間の紛争解決の手段としては、武力による威嚇または武力の行使は、永久に放棄する」

 
 アメリカミシガン大学アジア図書館に運営委員会のハッシー海軍中佐の内部文書が保管されていた。GHQが最も留意したのが、天皇制だった。マッカーサー・ノートに記されていた最上位を意味するheadが象徴を意味するsymbolに書き換えられた。
 ケーディスの証言「国の最上位という言葉は天皇が絶対的支配者として権力を持っていることを意味すると見なされる恐れがありました。それは連合国が拒絶していたことでした。政治的権限を持たせないという意味で象徴という言葉に変えたのです。」
 そして戦争の放棄。新しい理念が盛り込まれていった。GHQはアメリカやフランスなど世界各国の憲法に加え、日本の民間草案も参考にしたという。
 ダウエルは次のように証言している。「(記者)民間の『憲法研究会』草案についてケーディスたちと話し合ったことはありますか?」「(ダウエル)確かに話しました。憲法研究会の草案に関する私のレポートをケーディスと議論し、ホイットニー准将に提出する前に彼の承認を受けたはずです。私たちは確かにそれを使いました。私は使いました。意識的あるいは無意識的に影響を受けたことは確かです。」

ラウエル、ケーディス、ハッシーらのもとに、7つの委員会(立法権、行政権、人権、司法権、地方行政、財政、天皇・条約・授権規定)が設けられ、総勢25人が分業体制で作成にあたった。
 草案作りで一番多くの条文を作成したのが、人権に関する小委員会だった。そのメンバーで女性の人権を担当したのが、ベアテ・ゴードン(83)さん。当時22歳の若さだった。
 「これが私。日本の子どもと一緒に遊んでいるでしょう?(ベアテ)」
ベアテさんはピアニストをしていた父親の仕事の関係で5歳から15歳まで日本に暮らしていた。
 「私は10年くらい日本にいたので、自分の目で見た。女性が圧迫されて大変だったと言うことをよく知っていた。私は特別に女性のために何かしたかった。子どもの時に、好きじゃない人と無理に結婚するということは大変なことだと思った。そのことがたぶん小さいときからずっと頭に入っていた。だから 女性の権利を書くとき、一番最初に書いたのは結婚のこと。(ベアテ)」ベアテさんが書いた女性の人権の条文です。
 「婚姻は、両性が法律的にも社会的にも平等であることは争うべからざるものであるとの考えに基礎をおき、親の強制ではなく、相互の合意に基づき、かつ男性の支配ではなく、両性の協力により維持されなければならない。」
 男女平等を規定したこの条文は現在の憲法に活かされることになった。

2月12日、11章92条からなるGHQ草案が完成した。


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 2月13日午前10時、外務大臣官邸で日本政府とGHQとの会談が行なわれた。松本国務大臣と吉田外務大臣は自ら作成した改正案への回答が聞けると思っていた。
 GHQの記録によれば、民政局長のホイットニーはこう述べた。「あなた方の憲法改正案は自由と民主主義の文書として受け入れることは全く不可能です。」
会談に同席したケーディスによれば、ホイットニーは GHQ草案を受け入れるよう求め、次のように述べた。「マッカーサー元帥は天皇制に対する連合国の批判に耐えきれなくなるかもしれない。しかしわれわれの草案の基本原則を受け入れれば、天皇の身は安泰になるであろう。」さらにホイットニーは付け加えた。「逆にあなたがた日本政府が拒否すれば、マッカーサー元帥はこの草案を日本国民に公表し、国民投票にかけることを決断されました。」

日本政府はGHQ草案を極秘に検討した。

 2月22日、幣原首相は天皇制を守るために、GHQ草案の受け入れは避けられないと決断。GHQ草案をもとにして2週間で政府案を作成するよう指示した。政府案の起草は松本蒸治国務大臣と佐藤達夫・内閣法制局第一部長を中心に、極秘で進められた。佐藤はこれ以後、条文の作成だけでなく、GHQとの度重なる交渉など憲法制定において、中心的な役割を担うことになった。
 国立国会図書館。ここに佐藤が憲法成立の経緯について昭和30年(1955年)に語った録音テープが残されている。「私自身はそのとき初めてそういう案の概要を見まして、全然これは我々が憲法問題調査委員会で作った案とは内容が違う。非常に衝撃を受けました。こういうものを短い期間に日本式に書き上げられるものかどうか、非常な疑問を持ったわけですが、寸刻を争うということですから、早々それを持ち帰って検討に入ったわけです。」
 英語で書かれた条文を日本文に整理していく作業。佐藤たちはできる限り、これまでの日本の法律用語に合うよう微妙に表現を書き換えていった。

 3月4日午前10時、佐藤たちはGHQからの催促を受け、当初の予定より1週間早く、政府案をもってGHQに向かった。このときすでにワシントンでは極東委員会が発足していた。
 英語に翻訳する間もなく日本文のまま政府案を民政局に渡した佐藤。ケーディスらが一文一文を翻訳し検討を始めた。天皇に関する条文が微妙に変えられていることがわかり、激しい議論になった。
 問題になったのは、GHQ草案では「天皇の国事行為は、内閣の助言と同意を要する」となっていた条文だった。この条文を日本政府は明治憲法に倣って「内閣の輔弼(ほひつ)による」と変えていた。
 GHQとの交渉を一手に担ったのが佐藤だった。佐藤の回想によると、この「助言と同意」という言葉をめぐって、ケーディスとの間で激しい応酬が繰り広げられたという。
「GHQの草案には助言と同意とあるにもかかわらず、日本案には輔弼だけしかでていない。許可とか承認とかいう意味の言葉を加えることが必要だ。(ケーディス)」「輔弼の語には結局、同意の意味も含まれるといいうるし、これで十分だ。(佐藤)」しかし、ケーディスは「天皇に関する条文はGHQ草案が絶対だ」と言って譲りません。結局GHQの主張に近い「助言と承認」という言葉になった。天皇に関する条文はほとんど元通りに戻されることになった。このとき通訳を務めたのが、GHQ草案で男女平等の条文を作成したベアテさんだった。
 「天皇制について大変だった。大騒ぎになりました。とっても字でもどんな字を使うか、意味でも大変だった。私たちは天皇の権利を大きくしたくなかった。日本側は天皇の権利が大きくなるような意味の字を使いたがった。だからすごく大変だった。それだけで3時間くらい議論になった。(ベアテ)」

 その後も詳細に検討が続けられた。
 3月5日午前2時。女性の人権に関する条文に来たときだった。日本側がこの条文を削るよう主張し始めた。すでに16時間通訳をし続け、疲れ切っていたベアテさんは思わず眠気が吹き飛んだと言う。
 「これは日本の国民に合わない。日本の歴史に合わない。日本の文化に合わない。これは全然ダメです。女性の権利についてです。わたしとってもびっくりした。その反対の強さが、天皇制のことを話すときと同じだったから。(ベアテ)」
 そのとき発言したのがケーディスだった。優秀な通訳として日本側がベアテさんに好感を持っていると見ていたケーディス。女性の権利についてはベアテさんも望んでいるので、採択してはどうかと提案したという。
 「そしたらびっくりした。佐藤さんとみんなが。そしてパスしました。私はO~と言って喜びました。私がその条文を書いたこと何も言わなかった。ケーディスも言わなかった。言ったのは、心から望んでいる。長く日本にいたので、ずいぶん日本の女性のこと考えているから通しましょう、と。(ベアテ)」
 30時間に及ぶ検討が不眠不休で続けられた。すべての条文が完成したのが、3月5日の午後4時。このときはじめて民政局長のホイットニーが姿を見せ、佐藤と握手を交わした。
「ホイットニー将軍が出てきまして非常に安心したという顔をして、ありがとうありがとうとどっちの憲法を作ったのかという調子で握手して、非常に私も当時、変な気持ちがしました。(佐藤)」

 翌3月6日、政府は緊急の記者会見を開き、憲法改正草案要綱を発表した。「世界に戦争放棄の宣言を憲法中に明記し、世界唯一の新憲法を起草せんことを命じているものなり」
改正案の突然の公表。「主権在民」「戦争の放棄」真新しい言葉が紙面を賑わせました。
マッカーサーはこの案に全面的な支持を表明しました。
 これに対して激しく反発したのが、極東委員会です。日本の新憲法を承認するのは委員会の権限とされていたからだ。ワシントンの旧日本大使館に置かれた極東委員会本部、ここで委員会は2月下旬に1回目の会合を開いたばかりだった。正式に発足してから10日もたたないうちに改正案発表というニュースに接したのだ。

 「マッカーサーが天皇制を保持するという政策を突然発表したときには極東委員会は大いに仰天しました。それほど重要なことを極東委員会の審議を経ないでマッカーサーが独断で決定したのですから。われわれは既成事実を突きつけられたわけです。(極東委員会・オーストラリア代表のハロルド・ブロック)」

 
憲法改正で既成事実を積み重ねようとするGHQ。この自体に極東委員会はどう取り組もうとしたのか。
 アメリカ国立公文書館に極東委員会の内部資料が保管されている。「これが極東委員会の会議の議事録です(公文書館職員)」
 日本国憲法の公布まで11カ国の連合国がのべ100回を越える会議で議論を重ねていた。
 
 3月14日、極東委員会ではマッカーサーが日本政府の改正案に承認を与えたことに対して、各国から批判が相次いだ。批判の矢面に立たされたのはアメリカ代表で議長でもあったフランク・マッコイだった。
 「マッカーサーの承認はあくまでも個人的なものです。憲法改正は我々の最優先課題であり、極東委員会によって検討されるべき問題です(フランク・マッコイ)」
 新憲法を承認する権限は極東委員会にあることが確認された。

 さらにオーストラリア代表から、憲法の手続きをめぐって疑問の声が上がった。
 「憲法の改正は国会だけでなく、広く国民ができる限り民主的な条件のもとで十分時間をかけて、自由に議論した上で行なわれるべきだと思います。(フレデリック・エグレストン)」

 極東委員会は日本国民の意思を反映した憲法改正が行なわれることを求めた。政府の憲法改正案は議会で審議されることになった。 
 4月10日、戦後初めての総選挙が実施されます。女性にもはじめて選挙権が与えられ、30人を越える女性議員が当選した。選挙の結果、幣原首相は退陣、替わって吉田内閣が誕生する。6月、第90回帝国議会、政府の改正案が提出され、これ以降、議会の審議と修正が行なわれることになった。

 7月2日、ワシントンの極東委員会は新しい憲法が満たすべき基本原則を決定。その1番目に掲げられたのは「主権は国民にあることを認めなければならない」つまり「国民主権を明確にすること」だった。この決定は翌日3日、アメリカ.陸軍省からマッカーサーに伝えられた。極東委員会の決定にマッカーサーは対応を迫られることになった。

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GHQは日本政府の改正案が極東委員会の基本原則を満たしているかどうかを詳細に分析、日本語で主権の位置づけが曖昧になっていることに気づく。GHQ草案の全文には直訳すると「国民の意思の主権を宣言する」として、主権を意味するsovereigntyが使われていた。しかし、日本政府は主権という言葉を避け sovereignty を至高と翻訳、「国民の総意が至高なものである」と表現していた。
 
 7月23日、民政局のケーディスが日本政府との交渉に訪れた。この会談に同席した日本側の官僚(入江俊郎法制局長官)によるとケーディスは次のように迫った。「主権の所在につき、日本文の表現は極めて不明確だ。英文の文字をことさらに歪曲してあるように思える。もし、かかる日本文を承認したことになるとマッカーサー元帥は非常に愚かであると言われても返す言葉がない。主権が国民にあることを明文化してもらいたい。」
ケーディスに対応したのが、当時憲法担当大臣だった金森徳治郎だった。
「自分は議会であれで良いとたびたび説明をした。またあれで良いと信じている。その点を要求されるなら自分がまず職を辞するほかはない。(金森徳治郎)」
「もし憲法改正案に、主権在民ということが明記されなければ、ソ連欧州あたりからこの点をあえてけちをつけてくること確実であると考える。(ケーディス)」
この会談に内閣法制局第一部長の佐藤達夫も同席していた。
「極東委員会がこの憲法案について意見を言うとすれば、必ずそれは主権在民の問題である。場合によっては天皇制そのものも否定してくるかもしれない。我々司令部としては極東委員会が背後に控えているわけだから、我々もなかなか苦しい立場に直面していると弁明していた。(佐藤達夫)」

 ケーディスとの会談から2日後、衆議院で前文の修正案が提出された。その結果、至高という言葉が削られ、「主権が国民に存することを宣言」と変えられた。さらに第1条にあった至高も主権という言葉に修正された。その結果、第一条は次のようにまとめられた。「第1条 天皇は,日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって,この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」
 ここに象徴天皇制と国民主権が明確に規定された。
政府とGHQとの交渉が続けられる一方、帝国議会では政府案の修正が始った。


 7月25日、衆議院に設置された「帝国憲法改正案委員小委員会」。13回にわたって条文の訂正を審議した。秘密会として行なわれた小委員会、その議事録は戦後50年間封印されていた。

 平成7年に公開されたその会の速記録。そこからは条文の修正がGHQの要求だけでなく,日本人自らの発案で実現していたことが浮かび上がってきた。
 最低限度の生活を保障した生存権の追加や、戦争の放棄を定めた9条の修正が小委員会で行なわれていた。小委員会は14人の委員からなっていた。それぞれの政党が独自の修正案を出し合って、審議を進めて行きました。
 委員の中に民主的な草案を作り、GHQ民政局に注目された憲法研究会のメンバーがいた。森戸辰男。森戸辰男は4月に社会党から立候補。衆議院議員となっていた。 森戸は憲法研究会の草案にあった一つの条文に強い拘りをもっていた。
「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」こうした生存権を定めた条文は政府の改正案にはなかった。

 7月29日。森戸は生存権の条文を追加するよう要求した。森戸はなぜ生存権を強く主張したのか。
「日本の国民は国民として生活に対する最低限度の権利を有することがはっきり出ると言うことが。今日憲法を作る場合には特に必要ではないかと、私は思います。(森戸)」

森戸はなぜ生存権を強く主張したのか。戦前、経済学者として貧困の問題に取り組んだ森戸は言論弾圧で大学を追われた。その後ドイツに留学し、ひとつの憲法に出会う。第一次世界大戦後のドイツ国憲法。いわゆるワイマール憲法である。「各人をして人間に値する生活を得しむることを目的とする」世界ではじめて生存権を規定した憲法だった。

 敗戦後焦土と化した日本では人びとの生活は困窮し、餓死者が続出していた。その現実を目の当たりにした森戸はワイマール憲法の理想を日本で実現したいと考えた。しかし委員長の芦田均は生存権がなくとも法律で社会保障を実現できると、疑問を呈した。
 「文化的水準を維持する最小限度の生活ということは、幸福追求の最小限度でしょう。幸福追求の権利も国政の上で保障される。(芦田)」「それは違う。追及する権利があっても実は生活安定を得られないものがたくさんある、というのが今日の社会の状態です。その状態をなんとか民衆の権利を基礎にして良くしていくというところに生活圏の問題というものがでてくる。(森戸)」森戸の粘り強い説得によって、委員たちは次第に賛成に傾いていった。
8月1日、森戸の提案は採用された。
 「第25条(第1項)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

 速記録には、「義務教育に関する」条文も小委員会で修正されたことが記されている。
問題とされたのは政府の 改正案で 義務教育の対象を「初等教育 」すなわち小学校に限定すしていたことだ。「義務教育を延長するよう」提案がされた。
 その背景には全国の教師からの議会に対する「陳情書」があった。なかでももっとも熱心に活動を行なったのが、愛知県の教師たちだった。名古屋市立守山中学校、ここに運動の中心となった校長がいた。守山青年学校校長・黒田毅。黒田は日本の再建のために中等教育の義務化が必要だと訴えていた。「戦時中の浅ましい所行、敗戦後の醜悪な世相は何が原因しているでしょう。それは過去の教育が、特権階級、有産階級などの恵まれた少数の者に対する教育にのみ力を注いだ罪です。」『学制改革への努力』より
黒田たちの働きかけが実を結び 初等教育は「普通教育」とし中学校までの義務教育は認められました。
「第26条(第2項)すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。」


 小委員会では戦争の放棄 を定めた第9条にも修正が加えられた。
 「第9条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。」

7月27日、 まず社会党の鈴木義男が提案した。それは第9条の前に「日本国は平和を愛好し国際信義を重んずることを国是とする」趣旨の規定を挿入するというものであった。 「戦争をしない、軍備をみな捨てるということは一寸泣き言のような消極的な印象を与えるから、申し出た趣旨なのであります(鈴木)」
戦争の放棄を日本人が自ら積極的に宣言するようにしたい。鈴木の声に賛同の声が上がった。

これを受け7月29日、芦田委員長がひとつの試案を提示した。芦田は軍備を禁止した第2項の「保持してはならない」という表現を自発的なものに替えるため、鈴木の意見を取り入れた新しい文章を加えた。

「日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。」
 さらに1項と2項を入れ替え、「前掲の目的を達するため」という一文を追加した。

「第1項  日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
第2項  前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。」

 外交官出身の芦田は戦前、軍部を批判する演説を行なうなどリベラルな政治家として知られていた。「戦力を保持せず、交戦権を否認する、それを高らかに世界に宣言する」

8月1日、鈴木義男が1項と2項の入れ替えに違和感がある。元の順序の方がいいと主張した。それを受けて、進歩党の犬飼健(たける)が発言した。「委員長が言われた文章は非常に良い文章だ。前掲の目的を達するためということを入れて、1項2項の仕組みはそのままにして、それでなにか差し障りがありますか。」
 犬飼の主張は芦田が付け加えた文章はそのままにして1項と2項の順序を元に戻すというものであった。
「第1項 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 第2項 前掲の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」


 その時、芦田委員長が 確認のために読み上げた条文は一箇所だけ言葉が替わっていた。それまで「前掲」の目的とされていたものが「前項」の目的と替わり 、そのまま小委員会の修正案として承認された。

「第1項 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」

 芦田はこのとき、ここでいう前項の目的とは第1項冒頭 に掲げられた「国際平和の希求」を指すと説明した。しかし芦田の説明とは別の解釈ができることに気づいた人物がいた。事務方として審議に参加していた法制局の佐藤達夫だ。「こんな修正をすると自衛のためには戦力は持てると司令部が解釈して、こんな修正は許さないというかもしれませんね」と芦田さんに言った覚えがあります。「そんなこと大丈夫だよ、大丈夫だよ、余計なことは心配するな、というような顔つきでした」
佐藤が指摘したのは前項の「国際紛争を解決する手段として」の戦争放棄を指すと読む
ことも出来る。その結果、それ以外の目的、つまり 自衛のためには戦力をもてると解釈出来るというものでした。芦田は後に、この解釈と同じ自衛力は認められていると主張 した。
「第9条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 小委員会の審議を傍聴していた人物がいた。外務省終戦連絡事務局事務官・島静一(92)。
島さんは審議の概要を英訳し、GHQに届ける役割を担っていた。
「芦田さんの熱心さに打たれて、それに対する反対論は出なかったと思います。だからまず、憲法修正・改正だけを早くやりたいと。そして将来の問題は考えるというぐらいの余裕しかなかったと言っていいのではないか。将来それがあだになって問題になるという意識はなかったと思います(島)」
第9条の修正はGHQに報告され、了承された。


 政府の改正案の修正は、ワシントンの極東委員会に伝えられ、検討された。
9月21日、9条の修正をめぐって議論が紛糾した。特に強い懸念を表明したのが中国国民政府だった。「このままでは9条の第1項に書かれた以外の目的であれば、軍隊を保有できる可能性が生まれます。たとえば、自衛という名の下に日本が再軍備する危険があるのです。なぜ彼らはこのような修正を行なったのか。(中国代表 譚紹華)」
 この会議に参加していたのが極東委員会・中国代表のひとりだった楊覚勇氏(87)だ。日本への留学経験もある。
「これがみんな代表なんです。僕はここなんです。自衛という自衛論でもって侵略するものはいっぱいいる。自衛というものを理由にして侵略する場合は多いわけです。だから、またそうなるかもしれない。かってに解釈できるようなことはやめた方がいい。という結論になるのはあたりまえです。(楊覚勇)」
 9条の修正を批判する中国の意見に賛同する国が相次いだ。
「曖昧さが残る、非常に悪い起草です。なぜこのような規定になったのか、われわれにはその理由を尋ねる権利があります。(イギリス代表ジョージ・サンソム)」
「占領軍が撤退すれば日本は軍隊の保有を可能にする憲法改正を行なうかもしれません。そうなれば陸軍大臣や海軍大臣のポストを設け、そこに武官を据えるでしょう。(オーストラリア代表ジェームス・プリムソン)」
 日本の軍隊が復活し、軍人が政治に介入することに危機感を抱く連合国。このとき、ソビエトが新たな条文を追加するよう求めた。
「重要なのは、日本がある種の軍隊を創設しながら憲法で認められていると称して、日本国民を欺く可能性があることです。ぜひすべての閣僚はシビリアン(文民)でなければならないという条文を導入すべきです。(ソ連代表アドミラル・ラミシュヴィリ)」
 ソビエトは大臣の資格として軍人を認めず、シビリアン、つまり文民でなければならないというのです。日本の軍国主義復活を防ぐために シビリアンコントロールの導入を迫るソビエト。ソビエトや中国など憲法改正案への態度を保留する国が相次ぎます。このままでは最終的な権限を持つ極東委員会が改正案を承認できない事態になる。
 極東委員会での緊迫した状況はアメリカ陸軍省からマッカーサーに至急、電信で伝えられた。「もしあなたにとって、大臣をシビリアンとする条文の導入がそれほど困難でなければ、あなたは当然真剣に対応されるべきものと我々は信じています。」

 マッカーサーはすぐに動きます。9月24日、民政局のホイットニー局長とケーディスはマッカーサーの親書を携えて吉田首相を訪問した。ホイットニーはシビリアンコントロールの導入を吉田に迫り、こう述べた。「GHQとして必ずしも賛成でないが、イギリス、ソ連が極東委員会に提案し、そこからきたものだから、呑んでくれないか。(吉田首相の証言)」 吉田首相はGHQの要求を受け入れた。一方アメリカも態度を保留している連合国の説得に動いていた。
 25日の昼過ぎ、極東委員会のマッコイ議長が、中国の大使館を訪れる。マッコイは駐米大使の顧維釣に相談を持ちかけた。「今日、日本の改正案について疑問点を解決する為の会議があります。ついてはその会議で、中国としての立場をはっきりさせてほしい。(マッコイ)」
マッコイに迫られた顧維釣(こういきん)はアメリカの要求を受け入れる決断を下す。極東委員会で、中国国民政府の代表だった楊覚勇氏は当時アメリカの頼みを断れない事情があったと言う。「ちょうど国内戦争、内戦があったりして、アメリカは一方に偏り、ソ連は向こうに偏りと、だからみんなしょうがないけれども今はアメリカに頼った方が良いという。実際的に日本あるいは中国、日本関係がどうなるかよりも、アメリカがそう主張したらまあ、妥協した方が良いだろうと」
 当時、蒋介石率いる国民政府は、毛沢東の共産党と内戦に突入していた。激しさを増す内戦で国民党を積極的に支援していたのがアメリカ。一方共産党の背後にはソビエトが控えていた。

 9月25日夕方、極東委員会の会議が始った。冒頭マッカーサーから送られてきた電信が紹介された。「総理大臣及びすべての国務大臣は文民でなければならないという条文を入れるよう、日本政府を説得した。」マッカーサーの返信を受け、駐米大使の顧維釣が声明を読み上げた。「日本は過去において近隣に対する攻撃のために武力をたびたび行使し、しかも戦争を仕掛けていることを否定してきました。しかしながら文民条項が憲法に入れば、こうした危険性を排除するために一定の役割を果たすことでしょう。」
これまで態度を保留していた中国国民政府は改正案に対する賛成を表明。前向きな姿勢を示した。こうして極東委員会で、日本の議会での9条の修正は了承され、文民条項が新たに追加されることになった。
 「第66条(第2項)内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」

 1946年11月3日、日本国憲法が交付された。
「朕は国民とともに自由と平和を愛する文化国家を建設するように努めたいと思う。(天皇)」
日本政府とGHQ との1年にわたる交渉の末に誕生した新憲法。日本人自らの提案で新たな条文が追加、修正されていった。その間、極東委員会を舞台に国際社会は常に日本の憲法改正を注視し続けていた。戦争の放棄、国民主権、そして基本的人権の尊重を掲げた日本国憲法。今年、施行から60年を迎える。

はじけるしゃぼん星

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この記事へのコメント

コアラ
2018年08月27日 12:43
 ののはなさん。番組の詳細な文字起こし。御疲れ様でした。
 この番組は放送されたときに見ました。
 当時の緊迫したやり取りを、最新の資料知見に基づいて、丁寧にまとめた良い番組だと思いました。入り乱れる諸勢力の中でもっとも明治憲法の廃止に消極的だったのが日本政府なのですね。天皇大権を守ろうとする政府と天皇制そのものを廃止しようとする極東委員会。その間にあって、GHQは、民間憲法草案がもっとも民主的であるという事実に依拠し、政府よりも日本国民の方が民主化を受け入れると確信し、天皇制護持を約束して、民主的憲法を政府に飲ました。そして戦後はじめての民主的な総選挙で選ばれた議会。この議会がさらに憲法の民主主義と平和主義を徹底化させて、今の憲法は出来上がった。
 日本国憲法はGHQの押しつけなどではない、歴史的事実がくっきりと史料を基礎に浮かび上がらせた良い番組です。
 文字にしていただいたことで、さらにここがよくわかります。
2018年09月17日 22:55
10年前の番組ですか。当時の新資料に基き、
丁寧な番組作りがされてたんですね。
今日本の社会には、憲法の根本的精神である
基本的人権の尊重や、平和主義を軽んじる
風潮があって、非常に残念に思います。
男女で差をつけるために、入試の点数を操作した大学は、
不利益を被った受験生に、再入学のチャンスをなぜ
与えないのでしょう。不正行為は正されなければならないのに。
憲法の精神に違反する事は、犯罪に等しいものです。
それなのに、マスコミも世論も追及が生温いし…。
今の憲法の精神を理解できない者が、改憲を口にするなんて、
悪い冗談としか思えません。敗戦の辛い日々の中でも、
日本の未来に希望を抱いた人々の切実な思いを、
私たちは何より大切にしたいものですね。
ののはな
2018年10月03日 23:58
♡゚。コアラさん゚。♡
せっかく文字起こしをしたので、9月の読書会で使いました。当時の事情がよくわかりました。「もし」はあり得ないのですが、中国が内戦状態でなかったら、朝鮮戦争前夜でなかったら、連合国側の極東委員会はもっと厳しいことを要求していたでしょうね。わたしにはその方がよかったようにも思えました。結局あのような形で、国体護持側とGHQの利害が一致したために、日本はきちんと戦争責任をとらずにうやむやの戦後をスタートしたのですね。あの段階できちんと戦争を総括していれば、今のような政治情勢にもならなかったのではないかと。まあたらればはよしましょう。しかしここからわかったことは、民間の憲法研究会や憲法草案があったこと。それをGHQ民政局が取り込んでくれたこと、日本の女性の悲惨さを10年も見てきたゴアテさんがいて、女性の人権を憲法にきちんと書いてくれる人がいたこと、極東委員会が、民主的手続きを要求して、議会で憲法草案を揉んで、さらに生存権や義務教育の延長などの権利も盛り込めたこと、などなどがわかったことですね。これは決して安倍総理が言っているように「たった1週間でGHQ民政局が作って押しつけた、いじましい憲法」なんかではない。
この夏は大変な夏でしたね。わたしはこのブログに載せてから、熱中症で倒れました。やれやれです。夏の疲れでしょうね、と医者に点滴されて回復しました。それからはもう草取りも無理せず、家でごろごろ。この頃やっと体が言うことをきいてくれるようになりました。今日やっとベランダの掃除と窓ガラスを磨きました。週末にはまた台風が来るのですが。体がいうことをきいてくれるのでうれしかったのです。そんなこんなで、絵ももう何ヶ月も描いていないし・・・みなさんに失礼ばかりでした。コメントありがとうございます!
ののはな
2018年10月04日 00:27
♡゚。yasuhikoさん゚。♡
この憲法のおかげで、いろんな権利を享受して生きてきた戦後の日本人には誰ひとりとして、この憲法にいちゃもんをつける権利はないと思うのですが、杉田水脈に代表されるかの女性たち(この憲法がなかったら、彼女は国会議員にもなれなかった)は、一度タイムトラベルで戦前に戻って生きてみたらいいと思ってしまう。
自民党の憲法草案は9条否定だけが問題なのではありませんよね。根本からおかしいのです。基本的人権は自然に与えられるものではなく、国家に尽くしてもらえるものって感じで。いろんな権利も義務を果たしたら国家が与えるって感じ。あくまでも国が主で、国民は国家のための民。国があってこその国民なんだからって感じ。戦争の放棄という9条は、恥ずかしい条文。自衛隊よりも強い軍隊が作れるように国防軍を書き込もう。そう軍人を復活させよう、そうなるといろいろ問題も起きるだろうから、国防軍に審判所も置こう。・・・ああ書き始めたらもう・・・怒りが・・・「太郎次郎社エディタス」から出ている「あたらしい憲法草案のはなし」を読んでいると頭が痛くなります。
戦後、のうのうと生きてきた自分を呪いたくなります。今のようなおかしな政権にこの日本が乗っ取られて、日本会議のメンバーで内閣が埋まるなんて!
客観的に自分を見られない首相。ああこの国はどうなるのでしょう。
コメントありがとうございます!違憲状態の法案、教育基本法(第一次安倍内閣で改悪)、この間の悪法の数々をまずは廃案にいなければ。わたしは行動できないので、せめてと安保法制違憲の訴訟などの原告になりました。このままでは未来の人に申し訳ない。母や父に「あなたたちは戦前になんて情けない人たちだったの!」と追及した生意気な娘だったことを今、恥じている。今はもう同じです。
2018年12月24日 13:30
日本国憲法の第九条が骨抜きにされたのは、岸信介による日米安全保障条約の改定にありましたが、その根拠となる国際条約は憲法よりも優先されるという国際慣例を律儀に守っているのはおめでたい日本位のもので、日露不可侵条約を一方的に無視して火事場泥棒をしたロシアもそうですし、今頃、徴用工の補償問題に国内法を持ち出してくる事で、従軍慰安婦に次ぐ、また更なるでっちあげとも感じられる国際間問題の火種を仕立て上げる韓国の様な国も存在します。北朝鮮や中国といった国を貧乏な低開発後進国と侮っていた日本の現在の姿が世界と比べてどの様なものなのか、その現状には大変厳しいものが存在しています。

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