春の淡雪





画像



2日目の朝
寒さで目覚める
夕べは外があまりにも寒いので
宿に入ってほっとして
暖房を入れていなかったことに気づく

御簾ならぬブラインドをあげたわたしは駅舎に雪を発見
「香炉峰の雪はいかならん」と思わず口にしてみる

今日は高校時代の友人が「アッシーします」とのこと
宿まで来てもらえるようで、なんだか昨日も今日も
富山の人びとの温かい気持ちでのりこえているような

それにしても半世紀も経っているのだからわかるかな?
が、孫が一瞬で「あっ、あの車じゃない?」と
まったく旅に出てから主客が逆転している

懐かしの昔の父母の家に向かう
介護職だと言っていた買い主の最後の姿が浮かぶ
「もうわたしの家ではないから」と
車から降りることもできない
従姉妹に譲っておけばよかったのに、と
また後悔の念

孫が合掌造りをみたいと言っていたと伝えたのか
友人は呉羽山にある合掌造りの民芸館に
連れて行ってくれる

ちなみに呉羽山というのは、
富山県を呉東と呉西に分けている低い山
呉西(ごせい)は高岡を中心とする文化圏
呉東(ごとう)は
米一揆で有名な魚津などのある方で、富山市

富山市の98%が太平洋戦争時、空襲で焼失
戦後、
立派な道路が碁盤の目のように作られ
行事も簡素化された

父は呉西の出で、母は呉東の出だったために
わたしは両者の言葉や文化の違いに
いつも戸惑いを感じていた

画像



合掌造りというのは、
合掌組
(屋根の部分で2本の材木を山形に組み合わせたもの)を
たくさんつなぎ合わせ、
重層で巨大な茅葺き屋根の切妻の家屋をいう
養蚕と雪への対応から、
江戸時代中期頃、この形態の家屋がうまれたらしい
養蚕は広いスペースが必要なので、
屋根裏が利用されることになり
採光のために切妻にして明かりをとる
この形になったようだ

画像











 合掌造りの家屋は
 呉西のものなのだろうか
 父の実家の家の間取りも
 このようだったな

画像


この土間が、台所であり玄関になっていたような
タイムスリップしたような気分に牡丹雪が拍車をかける

画像


画像

画像




















友人の口からは高校時代の教員の名前が次々にでる
蔵堀先生にそんな思いがあったんだ・・・
そうだよね、担任だったんだね
わたしの担任の宮井先生とはまったくちがう
舟竹先生・・・
いろんな思いが去来しては消えていく
この降りしきる雪のなかに・・・

画像

やはり呉羽山って山なんだろうか
富山市内に戻ると雪が小やみになった
気がつくと車は富山聖マリア教会の礼拝堂前に

画像














 入り口のドアに
 小さなステンドグラス
 白い谷のゆり
 

 礼拝堂のドアをそっとあける
 なんと形容したら
 ぴったりとした表現になるのか
 言葉をみつけることのむずかしいこと



 1990年頃
 「反戦下町の女たちの会」の友人たちで
 房総半島にある「かにた婦人の村」を
 訪れたことがある

 そこには入所者と職員が
 協力して建てたという礼拝堂があった
 下の写真がネットにあった「かにた村」の礼拝所

  画像













今こうして比較して見てみると
まったくちがうのだが
わたしの心情としては
同じように素朴な礼拝所だったのだが
記憶というものは不思議なもの


画像


鐘楼に十字架のある建物にはなぜか郷愁がある
小学校時代に「モーゼの十戒」を子ども向けの本で読んでいた
わたしはいつしか祈りの言葉を口にして眠りにつく子になっていた
このあたりのわたしの心情は
以前の「小さな有沙」に書いた
興味ある方はクリックしてみてください


中学生になって、学校のそばに、緑の田圃のはるか彼方だったが
屋根に十字のある小さな建物をみつけた
しかし、まだ、一人で出かける勇気はなかった


そう思い出した
ここが高校時代、この友人に誘われて訪れた教会だった


数年前の年賀状で
英国から贈られたステンドグラスが
入った礼拝所のことは知っていた

しかし、こんな見事なものだったとは

まずはステンドグラスに目を奪われる

画像

♦正面中央
「イエス・キリスト」(550×2390)
作者:A . J . Davies(1877-1953)
銘文::THE LORD HATH CREATED MEDICINES OUT OF THE EARTH
主は大地から薬を造られた。シラ書38:4
WHITHERSOEVER HE WENT THE SICK WERE BROUGHT UNTO HIM
彼がおいでになると病人たちが彼のもとに連れて来られた
HE HATH GIVE MEN SKILL THAT, HE MIGHT BE HONOURED IN HIS MARVELOUS WORKS. 
主は自ら人々にいやしの知識を授け、その驚嘆すべき業のゆえにあがめられる。シラ書38:6
TO THE GLORY OF GOD AND IN THANKFULL RECOGNITION OF TH  MINISTRA TIONS OF THE
DOCTORS AND NURSES OF THIS HOSPITAL FROM PATIENTS  PAST AND PRESENT
(神の栄光のため、およびこの病院のこれまでと現在の医師と看護人の奉仕への感謝に満ちた表彰のため)

♦正面右
「聖母マリアと幼子イエス」(550×1590)
作者:A . J . Davies
銘文:IN LOVING MEMORY OF NURSE NELLIE KEENE WHO DIED DURING HER SERVICE AT THIS HOSPITAL ON THE 22ND DAY OF AUGUST 1924
(1924年8月22日にこの病院での奉仕中に逝去したネリー・キーンの愛の記念に)

♦正面左
「福音記者ルカ」(550×1590)
作者:A . J . Davies
銘文:A THANKOFFERING FROM THE STAFF OF THE HOSPITAL
(病院職員よりの感謝)



礼拝堂北面には昔のままのステンドグラスが
重厚なガラスと不思議な濃淡が時の重みを教えてくれる

画像















 私が旅をしていた時に
 お前たちは
 宿を貸し
 裸の時に着せ
 病気の時に
 見舞ってくれた
 マタイ25:35-36

画像














 私の兄弟である
 この最も小さい物の
 一人にしたのは
 私にしてくれたこと
 なのである
 マタイ25:40


画像














 お前たちは
 私が飢えていた時に食べさせ
 のどが渇いた時に飲ませてくれた
 マタイ25:35



わたしがステンドグラスに夢中になっている間に
 孫の目はオルガンにいったようだ
 ちょっと恥ずかしそうにして
 いつものようではなかった
 もう少し音を聴かせてほしかった
 賛美歌のひとつも弾けるようにしておくべきだった
 それ以前にきちんと話しておくべき事があるのではと

画像



今宵はこれにて
また書きます

はじけるしゃぼん星

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 43

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

ののはな
2019年04月15日 00:32
《Over the Rainbow》~虹のかなたに~

Somewhere over the rainbow
Way up high
There's a land that I heard of
Once in a lullaby
Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true
Some day I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where troubles melt like lemondrops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me
Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can't I?
If happy little bluebirds fly beyond the rainbow
Why, oh why, can't I?

ののはな
2019年04月15日 00:32
どこか、虹の向こうの空高くに
昔、子守唄で聞いた国があるはず
どこか、虹の向こうに空がとても青く
信じてた夢がすべて叶う場所がある
あたしはいつか星に願うでしょう
そして目覚めると雲ははるかかなたに消えて晴れわたり
悩みはレモンドロップのようにとけてなくなる
煙突よりもずっと上のほうで、あなたはあたしを見つけるわ
どこか、虹の向こうに青い鳥が飛ぶ場所がある
鳥達が虹を超えていけるのに、どうしてあたしにできないの?
もし、幸せな小鳥達がその虹を超えて行けるなら、あたしにもきっとできるはずよ

Over the Rainbow~オーバーザレインボウ~
1936
作詞/エドガー・イップ・ハーバーグ Yip Harburg
作曲/ハロルド・アーレン Harold Arlen
和訳/篠塚ゆき Yuki Shinozuka
ののはな
2019年04月15日 00:34
Over the Rainbowをどうしても聴きながら、書きたかったので。
お好きな方は聴いて見てくださいね。
コアラ
2019年04月15日 12:03
 大学に入学されるまでの期間(=生まれてから大人になるまでの期間)、多くの人々に囲まれて育まれた地。これが「ふるさと」というものなんでしょうね。
 故郷を持っている人にとって、ここは温かい心休まる地なのですね。たくさんの人に囲まれて育った、心温まる記憶に包まれた地だから。ふるさとのある人がうらやましいと思いました。良い旅でしたね。
2019年04月16日 16:12
合掌造りの内部の写真がいいですね。電球色の灯が良い雰囲気です。
ののはな
2019年04月18日 00:28
♡゚。コアラさん゚。♡
すっかりご無沙汰しております。石川逸子さんの「オサヒト覚え書き」がすっかりおもしろくなって、あの厚い本と格闘しています。それにしても体力が年々なくなっています。がんばってがんばって生きています。
きっとこれが、ふるさとなんですね。売ってしまった家の前に行き、自分が何をしたかったのかわからなくなりました。とても寂しかったです。従姉妹に譲っておくべきだったのです。亡き母がちゃんと話してくれなかったので、わたしは「はなちゃんにあげてほしい」の意味がわからなかったのです。あの地に母の祖先が7代前に五箇山から下りてきたのだから、誰かが引き受けなくてはいけなかった。実家の土地を東京にいる従姉妹が売り払ったと聞いていたし、わたしも身軽くなりたかった。でも今になって後悔です。
せめて、墓だけでも残すべきですね。何十年も音信不通だった従姉妹たちとなんとか繋がった事だけでも良しとしなければ。
高校時代の友人が半世紀もの時を飛び越えて、淡々とおつきあいをしてくれてうれしかったです。同じ場所にずっと暮らしていると風景と供に、記憶が留まっていてうらやましいなと思いました。コアラさんもずっとふるさとに住み続けておられるのですもの、いいですよ。わたしは根無し草のような生き方をしてきました。
2年前、大学時代の友人に50年ぶりに再会したときに、「どうして富山に戻られなかったのですか」と訊かれたとき、答えることができませんでしたね。人は一人っ子のわたしが当然田舎に帰ると思っていたのでしょうか。いろいろ高校時代のことを思い出して、なかなかキーを打つ手が進みませんでした。多くの人が高校時代の人たちと仲良くしているのに、わたしだけなんだか置いてけぼりになったような。すごくわけのかわらない気持ちになりましたね。一期一会と思って出かけましたが。
ののはな
2019年04月18日 00:35
♡゚。夢楽さん゚。♡
外はどんどん雪が降り、お客は私たちだけ。父の実家に帰ったような囲炉裏で、いい夢みましたよ。
2019年04月18日 10:28
故郷の色々な思い出にジーンときてます
Over the Rainbow
よく聴きました
だからより一層に!

ののはなさんが今、お幸せなので
お母様もきっと心の底から微笑んでおられると思います
コアラ
2019年04月19日 13:56
 いやいや。私が今50年以上住んでいる場所は、ふるさとではありません。生まれてから中学入学までの12年間は、父の転勤のためあちこち移動です。生まれたのは神奈川県小田原。1年半。その後横浜市鶴見区。ここに5年。その後は三重県三重郡朝日町。ここに5年。次に横浜市港北区。ここは半年。中学入学と同時に今の家に。
 だから中学・高校・大学はこの地ですが、小学校前や小学校時代の友人というのは居ないのです。そして小さいころを知っている近所の大人も。
 そもそも父の故郷は小田原。でも父はここで生まれ育ったわけではなく、祖父の任地の台湾で生まれ育ち、大学入学まで台湾。小田原に住んだのは戦争に行って戻ってきてからの数年間だけ。だから今の川崎には親戚は皆無。父は小田原の親戚と付き合いがあっても私はない。
 母の故郷は京都。生まれて22才で結婚するまで京都。でもここも母の一族のふるさとじゃない。母の一族のふるさとは福井県越前市。250年ここに母方の祖母と祖父の一族は居た。明治維新で一族あげて東京に出てきたので、母の代では越前市の親戚との交流は途絶えている。私が二人の曾祖父の人生を探す旅を始めたので越前市の親戚たちと交流を始めた。
 私が一番懐かしい場所は鶴見と朝日町。もう数十年も行っていないな。
2019年04月22日 10:02
私には、Keith Jarrett のjassも良く分かりませんが、同氏によるこの種の曲の演奏はなんだかな~っという印象です。

大阪での公演中の途中退場とかもあり、人格的にも?
ののはな
2019年04月24日 01:25
♡゚。kakoさん゚。♡
Over the Rainbowは何とも言えず、心を遠い日に呼び戻しますね。
母には親不幸ばかりしたようで、なぜ、素直に親の言うがままに生きられなかったのか。おかしなものです。高校時代に父の仕事仲間の人が、父の仕事を継いでくれる人との縁談話をもってきたのですよ。考えてみれば、幼少時代にも父の実家の人が実家の男の子とわたしを許嫁にしようとしたことがあった。その時は父が大人になってみなければわからないからと断っていたのだから、今回だって断ってくれるはずと信じれば良かったのに、このままでは何が起きるかわからないと、ただ家から逃れることばかり考えた。それとあの頃は父があまり好きではなかった。大人になってからわたしはだんだん父の良さがわかったけれど。でも今は二人とも天国で微笑んでいるわね。ありがとうございます。
ののはな
2019年04月24日 01:35
♡゚。コアラさん゚。♡
そうでしたね。コアラさんのお父さまのお仕事の関係で転居が多かったのですね。
幼い日の友人はわたしもほとんどつきあいがありません。が、親戚が残っていますね。この違いですね。
コアラさんが曾祖父さまの人生を探す旅を始めたられたのでしたね。それで越前市のご親戚の人びとと繫がれてよかったですね。
コアラさんにとって、心のふるさとは横浜市鶴見区と三重県の朝日町ですか。懐かしいでしょうね。わたしも小学校までの道を歩いてみたいなって時々思います。しかし自分ひとりで郷里に行くことがなかなかなくて、いつも家族の予定優先で、自分のための旅はしたことがなくて、そういう意味では行ってないも同然かしら。
不思議なことです。
ののはな
2019年04月24日 01:40
♡゚。kazukunさん゚。♡
あなたはKeith Jarrettがあまりお好きではないのですね。わたしは彼のThe Melody At Night, With You が出たとき、もう20年も昔ですが、大好きになりました。夜は必ず、これを聴きながら眠ります。
オコジョ
2019年05月10日 08:46
雪の富山素敵ですね。
そして富山聖マリア教会のステンドグラスも・・・
神を信じたくなるような・・・
連休前に富山に旅をしました。といっても、高岡と氷見ですが・・・
94歳と義父との旅なので、高岡は大仏と瑞龍寺氷見は海辺のドライブくらいでしたが・・・
故郷の旅、色々な思いがあったのでしょうね。
ののはな
2019年05月14日 00:30
♡゚。オコジョさん゚。♡
4月に富山で雪に会うなんて思いもしませんでした。友人の上手な車の運転のお陰で、雪景色を楽しめました。写真を送ってもらって見ると、実際に見るでは本当にちがうものだと今回は実感しました。百聞は一見にしかずとはこのこと。実は長椅子も全部イギリスから送られてきたものだとか。座って見たかったのに、なぜか、とても緊張してしまって。近ければ、もう一度そっと行ってみたいなって。
オコジョさんは高岡の方に行かれましたか。氷見では美味しい魚を食べられましたか。瑞龍寺とはすてきな所へ行かれましたね。富山市と違い空襲で焼けていないから、いろんな文化財があって、西の方はおもしろいですね。富山の家を売るまでは、砺波の方に何回か行きました。父の実家が西なのです。わたしにはやはりここがふるさとなんだと最近思い始めました。両親が亡くなったら、だんだんに忘れるものなのかと思っていたら、決してそんなことはないとわかりました。人生って生きてみなければ、わからないことがいっぱいあるんだなって。だからお互いに元気で生きていたいですね。また訪問させてくださいね。

この記事へのトラックバック