家族とはなんだろう

義姉から電話が入る
「Kが亡くなったのよ」
それから電話の声は地域包括センターの人に替わった
11年前に義母の相談にのってもらっていた地域包括センターの人だった


もうすっかり忘れていた現実がズームアップされて
日常はふっとんだ

半世紀近く引きこもり状態だった義弟が亡くなった
義母の遺産の相続争い後、
わたしたちは義姉とも没交渉

1年半前、暮れの夕方だった
義姉が住む町の警察から電話があった
義姉の名前が電話口から流れただけで震え上がった
どうしてうちの電話番号が・・・と問えば
「迷子になった本人は決して名前も言わなかったのですが
・・・はあ、警察の連絡表の緊急連絡先にそちらの電話が・・・」
「ああ両親が生きていた頃ですね。今は疎遠なのです」

こうして切り抜けていたが
とうとう義姉から夫の弟の死が告げられた

斎場に行くと少し痩せた義姉がセンターの人にぴったりくっついていた
その人は義姉のいうことに反論もせず、きちんとうなずき
さりげなくそうではないといい
ではまたこうしましょうね、と提案をつづけていた
ほんとうに彼女には頭が下がる
「ご無沙汰しております。この度はほんとうに申し訳ありません」と
わたしたちは頭を下げるしかなかった

「2年前から関わられたというのは、そのきっかけになにがあったのでしょうか」
とそっと訊いてみると
「2年前に弟さんが通っておられた病院から連絡が入りました」と

そうだったのか、弟は自分から病院へ行っていたのだね
義姉よりそこはましだね
「2月に自分から家ではもう糖尿病のコントロールがダメなので入院したいと言われて」
ああそうだったのか、そりゃかしこかったね

この間の事情を近々、地域包括センターに行き、話をすることになっている
納骨も49日あたりに済ませることに住職と話がついた
今日、立派な戒名が届いた

とても哀しい
どうして両親はあのふたりを
社会性のある人に育てられなかったのか
せめて普通に人と接することのできる人にできなかったものか
あの日から、わたしはまた眠れぬ夜を過ごしている


おりしも書きかけのブログは
今後このウェブリブログでは消されるようだ
で、慌てて、過去の記録だけは残そうと思う
本当はこんな個人的な恥は世界にばらまいてはいけないと思う
が、日記を書く習慣がないので、このブログだけが
わたしの記憶を留めるよすがとなっている

以下は過去のブログの残骸
どうぞどなたも決して読まないでくださいね






2014年4月3日の日記

世の中は・・・と中島みゆき節でも唄いたいよ
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今年はベランダからお花見。マンションの前は桜のトンネル。去年はベランダの野草たちの植え替え作業で1ヶ月潰し、桜の時期を逃してしまった。今年はせめてここから・・・と。今日も明日も雨。それにここのところ、事情がありすぎて、なかなか自然のなかにでかけられない。

 義姉から弁護士を代理人として、とんでもない遺産分割案が送られてきた。疑義だけは晴らさなければならない。高い教材費になるけれど、義姉にも世の中は自分勝手には決められないことを身をもって知ってもらおう。ある意味、これは相手への情けだ。君の一方的な言い分は君が立証しなければならないのだよ。



2014年5月10日の日記

「虚偽の主張は一切許さないぞ」と脅す義母の三男

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この写真は2009年
網膜変性症という難病をもつ義母が失明した頃
わたしが訪れた最後の日に
義母の部屋から庭を撮った


この大正時代の家に
20年前に亡くなった父親の遺族年金だけを頼りに
40年間ひきこもりの義弟(三男)と
同じく45年間昼夜逆転の生活をして
親のすねをかじって生きてきた義姉(長女)
すでに92歳になった義母が暮らしていた

いずれこんな日が来ることを案じて
夫(次男)とわたしは
両親にいろんな提案をしてきた

弟には仕事を、姉にはせめて結婚をすすめては
だめなら相応の金を用意して自立させてはどうか

ここに3階建の住居を建てて
親、姉弟、自分たちは最上階と住み分け
台所を独立、生計を成り立たせる必要性を・・・

しかしそのいずれも両親は受け入れなかった

2009年の段階でも
認定後介護度3となった義母に
「ケアマネジャーを決めよう」
「担当医を決めたのだから、訪問医療をしてもらおう」
「世話が大変というなら、ヘルパーを頼もう」
「お風呂に入れられないというなら、訪問入浴を」・・・

しかしなにひとつ義姉は受け入れなかった

25歳で家を出た夫は
実家の生計を具体的にはなにひとつ知らなかった

ただ義母は「○○子のことだけは頼むよ」が口癖だった
なぜか義母は義弟(夫の弟)のことには一切触れなかった

時々、義姉から突然電話がかかり
「○月○日○時に必ず来てね」と一方的に命令

その時刻に少し遅れてしまったある日
実家の玄関に入ると
「だれか・・・だれか・・・」と母が家の中を徘徊
弟がいるはずだが・・・と夫が廊下をみると
そこには・・・母の糞尿が・・・

目が見えなくなっている母はトイレのありかもわからず
家人を呼ぶが、誰も来ず、とうとうここでやってしまったかと
夫は何時間もかけてこの糞尿と格闘

数時間後、家に戻った義姉はありがとうもなく
糞尿の後始末に使った新聞紙をみて
「なによ、これ!わたし、まだこの新聞読んでないのよ」
山のようにうずたかく積まれた古紙の中から選んだものだったのに

これにはさすがの夫も立腹
姉が弟ごときに礼を言うはずがない
姉には子どもの頃のように「命令と叱責」しかない


この日を堺に夫は姉と決別
親不孝を長年していたから
最後くらい親孝行したいと言っていた夫だったが

そのことをわたしはブログに<自立の詩>と書いた

自立の詩
https://harunire.at.webry.info/200902/article_1.html

今思えば、あの頃のわたしには
現実がなにひとつ見えていなかった

それから3年の月日が過ぎた2011年6月1日
義姉からまた突然、電話がかかってきた


この顛末はブログ<義母の本籍探しの旅>に少し書いた

<義母の本籍探しの旅>
http://attain.at.webry.info/201108/article_3.html


あれから2年
言葉では形容できないほどの悪夢だった
あまりにつらく
日々を記録することでやりすごしていた



2013年4月20日
義母の死で
苦しい日々から解放されたと思っていた


が、2014年3月18日
義姉の代理人という弁護士から遺産相続分割案が

あまりにひどい内容に唖然
しかし時間が経つにつれ
この3年間、義姉から受けた理不尽な対応の理由が明らかになった
そして、疑義を晴らさないことには怒りが収まらないことに気づく
義姉が親類の人に言っている言葉も想像できる

4月25日に届いた弁護士からの「ご連絡書」には
「虚偽の主張を一切許さない」と義弟(三男)が言っていると

いずくんぞ安寧の日は
という心境



遺産相続トラブル...その1


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このところよく丸の内に行きます
デートではありません
たしかに相手はかわいいお嬢さんですが
知的な弁護士さんです



昨年の四月に亡くなった義母・被相続人には三人の相続人がいる
(戸籍上の長男は幼い日に死亡のゆえ)
長女、二男(わたしの夫)、三男


その長女がつけた池袋の弁護士から

♦2014年3月18日

「ご連絡書(遺産分割協議案)」が送られてきた
「ご連絡書」というタイトルで
しかも印鑑なしの文書

賢いですね
弁護士としては
「この文書になんの責任ももちませんよ」と宣言しているかのよう
すべて「○○子氏の依頼に基づき、以下のとおりご連絡します」とある

また、宛名は二男と三男連名になっていた
つまり長女が二男と三男に提案したとなっている


この「ご連絡書(遺産分割協議案)」に対して
わたしたちは少なくとも次の二つの疑義をもった

疑義の1は「××(二男)に生前贈与がなされたと主張されているが、事実無根である」こと

疑義の2は「○○子(長女)は母の介護についての貢献に対する寄与分を主張しているが、実態は老人虐待に近いものと思われる」こと


このふたつの虚偽の姉の主張による結論は以下のような分割案に

長女が36分の23
二男には36分の4
三男には36分の9

当方(二男)への憎悪むき出しの驚くべき比率!
(当方):(姉+弟)=4:32=1:8

二男には全体の9分の1ということだ


売られた喧嘩は買わなければなりません
金のないわたしたちも弁護士をつけました
丸の内にある明るい法律事務所を代理人に


♦2014年4月16日

こちらの弁護士がやったことは
「当職らは、××氏の遺産分割協議につき委任を受けましたのでご連絡します」・・・
「提案内容を検討させていただくにあたり、相続財産に関する資料一式を弁護士事務所に送って下さい」と相手方に「受任通知」を送ったこと
もちろん担当弁護士3人の氏名に押印して

物事の真偽をあきらかにするには
前提条件を明確にしておかなければならないことは
弁護士でなくとも誰でも知っている
前提条件を開示して下さいというのは当然で拒否できるはずがない
しかし、その回答がふるっていた


♦2014年4月25日
「下記事項をご連絡します」と「ご連絡書」がきた
「○○子氏に致しましては、××氏(戸籍上二男の夫)がかかる分割案に同意して頂ける場合であれば、資料を送付する意向」

「二男△△郎氏(戸籍上は三男だが・・)は・・・上記分割案に従わない場合、△△氏は、かかる××氏の虚偽の主張を一切許さない考えである旨の報告を受けております」


なんだ脅しか?!う~ん
三男は同意したってことか
4:9:23の9でしかない三男が同意したということは
そっか、すでに現金でもらってあるということか
長女も現金ではたったの200万足らずしかもらわないということは
すでに預貯金を下ろして、すでに自分の口座に振り込んであるということか
そもそも遺産の範囲になるベースの資料を開示したくないというのは、どうもくさい
開示するとまずいことがあるんだね

相手方の弁護士は
「開示すべきだと姉を説得したが、全く意志が固く応じようとしないので、そちらで資料を集められては」と言ったと聞く



♦2014年5月1日

そこで当方は連休に入る前にと5月1日から動き始める
まずは義母の本籍である野田市に行って、戸籍謄本をとる
以前、姉の介護がひどく、またわたしたちへの嫌がらせもひどかったので
義母に後見人をつけようと資料を集めたことがあり
そのとき義母の本籍が野田にあることを知った

今回はそのおかげで無駄足もなくスムーズに行った
役所の中に法務局の出先があったので、そこで野田の物件についても調べることができた
地番しかわからなかったので、住所を教えてもらった

そのとき「ああ、この土地には最近家を新しくされたオガワミツオさんが住んでおられます」
と窓口の人が教えてくれた

やっかいな「低地」物件が2つ、相続に入っていること判明
飛び地だったので苦労したが、なんとか県営住宅の向かいにある家とその隣の古屋のある土地と判明

なぜ、義母はこんなやっかいな土地をもっていたのか
生きているうちにその家を買い取るか、あるいは土地を買ってもらうべきだったのに



わたしの両親は、戦後焼け野原になったとき、家の裏に隣人が勝手に家を建ててしまったので
期限付きの契約を結び、なおかつ、後代のやっかい事になると思い
バブルのときに500万円を渡して、その古屋を買い取っていた


なぜ、義母もきちんとそうしたことをしなかったのだろうか
購入年月日を調べると、野田の養母が亡くなった頃なので
やっかいな「低地」物件を押しつけられたのではなかろうか

相続財産になるが、売ることもできない遺産になるので
「低地」は忌み嫌われるはずであるのに


♦2014月5月2日

次は預貯金の「残高」と「取引の履歴」と「貯金等照会の調査」依頼のため
ゆうちょ銀行、りそな銀行、みずほ銀行等に出向く

「身分を証明するもの」と「実印と印鑑証明」、親子関係を証明する「双方の戸籍謄本」を持参して
その結果
いずれの金融機関でも名義人の死亡を知らず、この時点で口座が閉鎖されることになった
りそな銀行は姉弟が住む家の公共料金の引き落とし銀行になっていたので
弁護士を通して、その旨を伝えてもらう



♦2014年5月12日

丸の内の弁護士事務所で打ち合わせ
これ以上、相手方は譲歩もしないし、自ら調停にもかけないというので、
早期解決を望むこちらが調停申し込みをすることにする

また、裁判まで行きそうなので、その間の相続税の延滞料が派生するので
相続税の申告をしようとなる

分割して手続きをとるのかどうか、そのあたりを相手方の弁護士に聞こうということになる
結果、相手方の池袋の弁護士事務所は不動産のことを専門にやっているらしく
税理士の免許もあるので、40万+消費税 を支払ってくれるなら
当方の分も一緒に申告してあげましょうと

冗談じゃない、利害関係が背反する相手方の弁護士なんかに43万2千円も支払いたくない
それにわたしは、実の両親のときもすべて法務局の手続きから何から何まで自分でやった
遺産分割協議書から、登記まで、何度も法務局に足を運んで教えてもらい
結果、書類完成後は田舎の法務局まで出しに行った

交通費と宿泊代で10万はかかったけれどね
で、当然今回も自分たちでやることに決定



♦2014年5月15日

「取引の履歴」が送られてきて判明したことは
国債や定額貯金が満期になるや、1週間ぐらいで姉が現金化していること
郵便局過去6年間だけでもその額は1千万円にはなること
推察するに、姉の口座に入れたのだろう
時には弟にうるさく言われて、弟にも分けてやっていたのだろう

それ以外に生活費として毎月20万程度下ろしている
義母が骨折・入院でいなくなった3年前からはその額も増えている
義母の入院費用はわたしが一括して支払い、姉に半分もってもらっていた
で、義母にはだいたい月8万程度かかっていたことになり
残りは彼らふたりの生活費である

断っておくが、ふたりは人生で一度もきちんと就労経験がない
昼夜逆転の好き放題の生活である
なのに、弟もお金をもち、自由に書籍を購入したりしている

昨年の火葬式の日
畳も見えなくなっている家に山のように
図書館にでもありそうな高価な写真入り書籍等が積んであった

光熱費の経過を辿ると義母がいなくなってからは
電気の使用量がますます増えている
夜中はずっと起きているのだろうか


開示を拒んだ理由もわかる
通帳残高0の通帳記載があったが、なんと満期が来ていない定額貯金があったのだ
ということは・・・株についても記載されていない株がまだあるのかもしれない

いまのところわたしたちには知るよしもないが
口座が閉鎖されたが、姉には事務手続きができるだろうか
事務能力ゼロの姉である

母の死後、
・役所に行って母の葬儀費用をもらうこと
・年金事務所に行って母の未払いの年金をもらうこと
と手紙に書いてやったが、それもいまだやっていないようだから

まあ、多額のお金を手に入れて気が大きくなっているのかもね
母が病院にいるとき、
「洗濯物をもっていかないで、不足すると病院でクリーニングに出され、
1枚800円も請求されるから」といくら言っても、たかが800円と理解されなかった
働いたことがないので金銭感覚がゼロなんだろう
通帳から引き下ろす額も、最低でも20万、時には200万下ろしている
で、いつも封筒にお金を数センチの厚みで持ち歩いていたのだね
わたしの財布には千円札しか入ってないので、びっくりしたものだ



♦2014年5月24日

遺産相続トラブル...その2
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調停の申し立てをしました!
-ステージは家庭裁判所での「調停」に

相続の裁判は、家庭裁判所での調停を必ず経なければならない


【民法第907条第2項】

遺産の分割について、 共同相続人間に協議が調わないとき、 又は協議をすることができないときは、 各共同相続人は、その分割を家庭裁判所に請求することができる



【家事審判法第18条】

調停を行うことができる事件について訴を提起しようとする者は、まず家庭裁判所に調停の申立をしなければならない。


♦2014年5月23日

わたしたちの代理人は家庭裁判所に調停の申し立てを行った。何回か資料のやりとりをして文面を確認し合って、とうとう闘いの火ぶたは切られた。

ちょうど1週間前、被相続人の妹(夫の叔母)から電話があり「○○子さん(夫の姉、調停の申し立てをした相手片)から美味しい果実が送られてきたが、どうしようか」と。「○○子さんはお友だちがいないし、親戚もおばさんだけだから、仲良くしてねって意味で送って来たのだろうから、美味しく頂きましたってお礼の電話でも・・・」って答えておいた。その後、また電話をもらい、義姉は「弟に挑戦状を叩きつけてやった」と言っていることがわかった。自分の分割案が飲めないなら、一切の開示はしない、虚偽の主張は一切許さない、と2度目の連絡書を弁護士から届けさせたことをいうのだろうか。

それにしても愚かな義姉だ。どうして下手に出て上手に振る舞えなかったのか。わたしだったら「母の最後には本当にお世話になったわね。わたしたち、一度も外で働いたことがないから、これまで同様親のお金で生きていくしかないの。だから、ここは遺産のすべてをわたしたちに譲ってほしいの。いずれわたしたちが死んだら、残りはあなたたちのお子さんに残されるのだから、そういうことでお願いできないかしら」とでも言うのだけれど。まあ、そんな気のきいたことが言えないから、あんな生き方しているのだろうね。それにしても毎日気が重い。

 

家庭裁判所の調停では、 当事者双方から言い分をじっくりと聞き「世間一般ではだいたいこのように決着している」という旨の解決案が示される。そこで、本当の裁判とは異なり、 当事者の出席が義務付けられている。弁護士にすべてをまかせて、 自分は裁判所に行かなくてもよい、ということは認められていない。優秀な弁護士を同席させたからといって、 有利な条件で決着するわけでもない。上手に話をするほうがが有利で、 上手に話ができないほうが不利、ということはない。双方の立場や言い分を平等に汲み取って、 平等な解決案が示されるのが、 家庭裁判所での調停手続き。

家庭裁判所で解決できないケースというのは、どちらか一方が財産を隠していたり、 生前に財産を勝手に使い込んだりした場合などだ。この場合は、その証拠の効力を争う事になる。(誰でもわかる相続ガイドより)



義姉が隠していることは事実だし、生前に使い込んでいるのも事実だし。あ~あ、それをちらつかせるしかないのかな。

このような争いを家庭裁判所で判断するのは不向き。 次は本当の裁判へ移行していくことになる。
というわけで、たぶんさっさと裁判に移してしまうしかないだろう。

これらの流れを整理しておくと

①家庭裁判所に家事調停の申し立てをする↓

②2週間ほどで、調停期日のお知らせが届く↓

③お知らせが届いてから1ヶ月後ぐらに、

   第1回目の調停が開かれる↓

④月1回ぐらいのペースで調停が開かれる↓

⑤3、4回の調停して、合意できれば終了↓

⑥合意できなければ、家庭裁判所が審判を決定する

(誰でもわかる相続ガイドより)



6月6日くらいに、調停期日のお知らせと呼出状が届くだろう。調停期日は呼出状が届いた日から、 1ヵ月後ぐらいの日(6月23日)が指定されるはず。

調停が行なわれる家庭裁判所は、 相手方の住所に近い場所。当然東京家庭裁判所だろうね。

調停期日に出頭すると、調停委員が、 申立人と相手方の双方から直接事情や意見を聞き、 双方が納得のいく適切な遺産の分割ができるよう、 話し合いを進める。調停委員は、家庭裁判所の裁判官に状況を報告し、 調停の進行方法を決定する。必要に応じて、家庭裁判所調査官が事情を聞くこともある。調停は月1回のペースで開かれ、 3回ほど行われたところで調停委員から調停案が示される。その調停案に双方が合意すれば、終了。

あの分からず屋の義姉のことだ、調停案に合意するはずはないだろう。それにそもそも、火葬式の日も、埋葬の日も顔も見せなかった義弟は来るだろうか。もし来なかったらどうなるのか。



家庭裁判所の調停申し立てをすると、相続人全員に呼出状が届く。この呼び出しを正当な理由なく無視をすると、 5万円の罰金が課される。それでも、家庭裁判所の調停手続きに出席しないときは、自動的に調停不成立となり、 家庭裁判所の審判手続きに移行。

家庭裁判所の審判手続きにおいて、 正当な理由なく欠席をされる方には、とても不利な判断が下される。

ということは、相手に手紙や電話で連絡をとってみても無視をされて困ってしまった場合は、 積極的に家庭裁判所を利用するとよい。家庭裁判所の力を借りれば、 無視をする相手に対しても、 強制的に手続きに参加させることができる。
(誰でもわかる相続ガイドより)




なるほど、すごいいいことを聞いた。もし義弟が調停に出てこなかったら、こちらが有利になるのか。ほんとうかな。弁護士はそんなことは言ってなかったが。それに弁護士が代理人だとしたらどうなるのかな。これは桑島 隆二さんが管理しているサイトでの話なんだけれど、本当かな、本当だといいな。

                                 




遺産相続トラブル・・・その3




ちょっと間が開いたが、
遺産相続の案件は少しづつ前に進んでいる


[相続税関係]記憶のために書いておこう

2014.5.27・・・相続税の申告書提出、相続税(807,300円)支払う


「財産の範囲」は私たちが知りうる相続範囲を単純に3分の1にして計算。「申告期限後3年以内の分割見込書」を添付(2016.2.20までには分割)

 
2014.6.30・・・相続税の支払い延滞罰金(40,000円)支払う
2014.7.1 ・・・相続税の延滞税(6,100円)支払う


やれやれ、2016年の2月までには、一件落着としなければ。
これはあくまでも暫定的な相続税の支払い。返ってくることを期待して。


[調停関係]

2014.5.23・・・私たちの弁護士事務所が家庭裁判所に調停の申し込み

   1.調停申立書     2.甲第1号証乃至甲第9号証 

   3.添付書類 (委任状・戸籍謄本類・相続関係図)          

2014.6.2・・・追加書類提出(事情説明書・進行に関する照会回答書・連絡先等の届出書・被相続人の戸籍附票・固定資産評価証明書)


相手方の都合が合わず、日にち調整難航。結局8月20日第一回調停と決定。夏休みを挟むので、前日弁護士との打ち合わせ。





遺産相続トラブル・・・その4  1回目の調停


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♦2014年8月20日 13:30 東京家庭裁判所

相続人は・・・被相続人の3人の子ども

1.相手方:長女A子(71歳)未婚..代理人(弁護士)と一緒に来る

2.申立人:二男K (69歳)子ども3人..申立人待合室で弁護士と待ち合わせ。

3.相手方:三男KS(66歳)未婚..代理人なし、本人も来ない。


A子の弁護士は「KSの代理人をやってもいい」と言っている。KSは電話口へも出ないので、すべてA子を通しての話であるが、「申立人Kが3分の1を主張するなら、自分も3分の1を主張する」と言っているとか。

3人がそろわなかったので、調停を始めることができない。



申立人Kは、「相続の範囲」については異論を主張しないと。分割もきちんと3分の1でなくてもいいというが、ここで申立人の弁護士が横から「きちんと3分の1で」と。これには裏があった。実は相手方A子は「二男Kにはなにひとつやりたくない。わたしが死んだらKの子どもに遺産が行かないように、すべて遺産は国に寄附する」と言っているようだ。

相手人A子は、寄与分があると主張するが、なんら根拠も示せず、調停委員からはそれではなんにもならないと言われる。



-*-*-*--*-*-*-*-*-*-*-

家庭裁判所では「遺産分割調停の進め方」を下記のような流れで進めている

1.相続人の範囲   ・・・合意があれば次へ
2.遺産の範囲     ・・・合意があれば次へ
3.遺産の評価     ・・・合意できなければ「鑑定」へ
              ・・・合意があれば次へ
4.各相続人の取得額

  遺産の分割方法  ・・・合意すれば <調停成立>

-*-*-*-*-*-*-*--*-*-*-*-

しかし、本日は、相手方ふたり(A子とKS)のうち、代理人がいない相手方KSが来なかった。そこで調停そのものが成り立たないという結果になった。 

次回は10月1日 15:30

 相手方KSが来られそうな時間設定ということでこの時間になる。

引きこもりとはいえ、電話にもでない、調停にも来ないというのは、重症だとの判断。次回も相手方KSと連絡がとれず、出てこないとなれば、「不調停」という結果になるのだろう。相手方A子の後姿、少し元気ない。これで少しは現実が見えてくるようならいいのだが。




遺産相続トラブル・・・その5 2回目の調停



♦2014年10月1日 15:30 東京家庭裁判所

相続人は・・・被相続人の3人の子ども

1.相手方:長女A子(71歳)未婚..代理人(弁護士)と一緒に来る
2.申立人:二男K (69歳)子ども3人..申立人待合室で弁護士と待ち合わせ。
3.相手方:三男KS(66歳)未婚..代理人なし、本人も来ない。


この日も相手方・三男KSは来なかった。

相手方A子の話では「弟KSは遺産を放棄して、姉A子に自分の分をやると言っている」とか。これって自分は遺産放棄するので、遺産をふたりで分けるということになるのだろうか?

これに対してA子は「わたしは3人で3分割するのがいいと思うのだけれど」と言ったという。そうか・・・A子はようやく法律通りに分割することに理解をしめしたのだろうか。しかし、調停委員は「A子さんの言うことは矛盾していたり、めちゃくちゃだったりするから、信用できない」と言っている。

 
もう1度調停のチャンスをということで、11月10日(月)の10:00に決まった。

次回までにA子は弟KSを法律事務所に連れて行くことを約束したそうだ。「弟KSは家に来られるのは困るが自分が事務所に行くのはいい」と言っているそうだ。しかし前回は1ヶ月半の猶予があったのに、ダメだったのだ。次回までは1ヶ月しかない。あまり期待できそうにない。



調停で不調ということになったら、審判になり、ここで決めることができるのは、遺産の中で「不動産」のみの分割の審判になり、不動産を「競売」に出して、現金化して3等分となる。調停委員はこれを相手方A子に話したそうだ。「競売になれば、評価額よりも安い価格で叩かれるし、住む家もなくなりますよ」と脅したようだ。

A子はこれで現実を少し認識しただろうか。それともこれまでのように「Kの息のかかった調停委員だから、Kの味方をしているのだ。今度はわたしが申し立て人になるわ。そうすればわたしに有利になるに違いない」などと愚かなことを考えているのではあるまいか。なんだかA子が気の毒になる。



A子の話を通してのKSの言っていることが前回と全く違っている。KSは現実が見えているのだろうか。ただ、自分が遺産を放棄すれば、外へ出て行かなくて済むのではと考えての発言だろうか。ひきこもりというものが全くわからない。そのKSに対してA子が説得できるとはとても思えない。母(被相続人)が生きている頃は、母と姉は弟KSの家庭内暴力におびえていたのではないか。それなのに・・・全く、見えない。

A子の弁護士にもやる気がぜんぜん感じられない。







遺産相続トラブル・・・3回目にしてやっと「遺産の範囲」が決定!

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♦2014年11月10日 10:00 東京家庭裁判所

相続人は・・被相続人の3人の子ども

被相続人は・・昨年4月に95歳で、申立人の家近くの長期療養型の病院で亡くなる


1.相手方:長女A子(71歳)未婚..1時間遅刻、代理人のみで始まる

2.申立人:二男K (69歳)子ども3人..10時に待合室へ

3.相手方:三男KS(66歳)未婚..代理人



◆前回からの進展

 前回、調停委員が「調停が不調に終われば、審判に移行する。そうなると不動産を競売に出して、3等分するので、あなたたちの住む家もなくなりますよ」と相手方A子に言い渡したことが功を奏したのか、A子の弁護士が相手方KSの代理人と決まった。これでKsが来なくても、調停を進めることができる。こちらの弁護士から伝え聞いたKSの主張は「遺産はすべて姉に譲る」というもの。




◆今日の調停の流れ 調停内容「遺産の範囲が決定」

10:00~10:10・・・相手方の弁護士と調停委員の話合い

10:10~10:20・・・「遺産の範囲」での申立人Kの主張

        「遺産の範囲は、相手方が準備書面に書いてきたもので結構です」

10:20~11:00・・・相手方の弁護士と調停委員の話合い

11:00~11:40・・・遅刻してきた相手方A子と相手方弁護士の打ち合わせ

11:40~12:00・・・相手方と相手方弁護士、申立人弁護士で、「遺産の範囲」を決める。

              (申立人は相手方A子に会いたくないと出席せず)

12:00~12:10・・・戻ってきた弁護士の報告

      1.遺産の範囲が相手方の主張通りとなる        

      2.次回は1月7日の13:30~15:30 

      3.次回の調停内容:「相続の範囲の評価」

      4.それまでの課題:相手方弁護士・・・不動産の評価の調査

                申立人・・・11月末の株式の評価の調査



◇今日の雑感

今日は、相手方は代理人の弁護士ひとりでスタート。それでもようやく調停が手順通りに「遺産相続の範囲」が決まった。

1時間遅れの11時、A子が到着。10時ではまだA子が寝ていたのだろう。相手方の生活に午前はない。弁護士事務所では待ち合わせの時間になってもA子が来ないから自宅に電話を入れて、ひとりの弁護士が残って家庭裁判所まで連れてきたのだろう。

結局、今日は遅れてきたA子が弁護士と打ち合わせをするのを、こちらはただ待っていただけ。



◇ついつい出てしまう愚痴

亡き義母が失明しはじめた10年前「お昼まで誰も起きてこないので、水一杯飲めないのがつらい」と言った。健康には人一倍気をつかって生きてきた人だったのにとつらかった。義母は老人虐待に近い状態だった。たった2年で20本あった歯はゼロ。入浴も着替えも、シーツ替えもない生活。担当医も家に入れてもらえず、拉致してくるしかないと言われていた。その義母の同居人のA子が遺産相続で、介護の貢献をしたと寄与分を主張するとは。呆れて開いた口が塞がらない。



この後、一体どうなったのか、記録がない。
ということは、とにかく忘れてしまいたかったのだろう

最後には、義姉は家庭裁判所や自分がつけた弁護士に説得され(本人はみんなKのグルだと叫んでいたが)
法定通りの分割(3分の1づつ)になった

わたしたちは、9分の1だった相続分が3分の1になったというわけで
その差額の何割だったか、報酬として弁護士料を支払った

泣いていいのか、笑っていいのか
とても複雑な思いで結末をむかえた
疲れがどっと出て、もうなにも書き残す気力が残っていなかった




はじけるしゃぼん星

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この記事へのコメント

2019年05月24日 09:35
2011年8月の記事も併せて、むさぼるように拝読しました。
当方も目前にほぼ類似案件が控えているので参考になります。こうして軽い感じでコメントを入れてますが、ご苦労の数々に想いを巡らせ、我が身に置き換えると、Step by stepで向き合うことの大切さが身に沁みます。これからもお付き合いのほどよろしくお願い致します。
ののはな
2019年05月25日 00:48
<自立の詩>https://harunire.at.webry.info/200902/article_1.html
以前のブログです。
家族の不条理にずっと悩まされてきた人生でした。
読んで下さってありがとうございます。
わたしもきっとこうして吐き出さなければ、あのしんどかった日々を過ごせなかったのでしょう。一貫性がない文章で、なかなかしんどい文章ですね。お疲れさまです。家庭裁判所に通っていた頃、見聞きした事から、世の中の人びとはいろんな家族の悩みを抱えているのだなと実感しました。
ブログはわたしもだんだん遠くなっています。しかし落ち着いて、なにか考えながら向き合えるので、好きです。Facebookは時々、日本語で読み込めなくなったり、訳がわからないこと多いです。しかし手軽です。高校時代の友人に誘われて2011年からFacebookとつきあっています。しかしなにか記事がすごい速さで消費されているようで、ちょっとわたしの感性に合いません。
こちらこそ、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
小枝
2019年05月25日 12:46
こんにちは。

今般のウェブリブログ事務局さんからの
リニューアルのお知らせの内容あまりにも大規模で
且つ 優れたリンク機能までもが廃止されることに
驚いております。

何度もお知らせの内容を読み返しているのですが…
下記の記載がお知らせにございました。
    ↓
- 未公開の記事で「下書き保存中」のものは、
メンテナンス後も残ります。


未公開で保存されているものに関しては
消え去ることはないようです。

これが記述されていたページのURLを
下記に添えさせていただきますので
ご確認いただければ幸いです。

https://info.at.webry.info/201905/article_1.html


オコジョ
2019年05月25日 17:46
相続というのは大変なのですね。
時間と弁護士の費用などの無駄ですね。
私も妻も兄弟二人づつなのですが、父の時は二人とも財産放棄、母の時は二人でわけるつもりだったのですが、弟は、母親の介護をまかせっきりだったのでと、相談もなしに、勝手に財産放棄・・・
少し受け取ってもらいたかったのですが・・・
義母の時は、子供は財産放棄するつもりでいたのですが、義父が少し取っておけといわれ、法定の半分くらい頂きました。義父の時も問題ないだろうと・・・
それよりも長生きしてほしいなと・・・
先月は義父と義弟夫婦と高岡の能登をなかよく旅をしてきました。秋はどこにいこうかと・・・
人と人のいがみ合いは悲しいですね。
私の子供三人は仲良いので、心配はしていないのですが、ある程度決めておかなくてはいけないですね。
恵まれているなと・・・
家族というのは、仲良くありたいですね。
2019年05月27日 11:10
こんにちは。

ご親族の事とその遺産相続では、大変なご苦労があった様ですね。長い人生は山あり谷ありで、晩年は平穏で心穏やかに過ごせれば幸せだと思います。相続のお話を拝読しました。小生も『父の遺産相続』では1人だけに全財産を相続するという話であった為に、裁判所に遺留分減殺請求を申し立てた経験あります。

市役所で無料相談できる弁護士に話を聞いてから、私は弁護士を雇わずに六法全書などを読んで法律の勉強をして調停のやり方を自分で判断し、裁判所に出す書類や代理人である相手の弁護士に対する駆け引きなども、全て私1人で行いました。裁判所の調停人と判事の前で、他の兄弟達から私が預かっている遺産分割協議書と印鑑証明書を、相手の弁護士へ渡して解決しました。裁判所書記官の朱肉の角印が押してある、調書(成立)の原本を持っています。

人生で重要な岐路に立たされた時はセカンドオピニオンで確認した方が良いと思います。複数の専門家に聴いてから判断すれば、間違いが起こりにくいです。遺産相続の時は対処方法を2人の弁護士に聞いてから自分で判断し、相手方の弁護士とは自分1人で対応しました。お互いに円満に解決出来る方向へ持って行きました。弁護士は胸に天秤の絵柄のバッチをつけています。3人の弁護士を天秤にかけて重さを測り、軽い重いの差異も分かる。遺された親族が困らない様に、エンディングノートはキチンと書いて置くのが大切だと分かりました。
ののはな
2019年05月27日 23:31
♡゚。小枝さん゚。♡
ご親切にありがとうございます!
実は書きかけてはそのままのブログが半数以上を占めています。どうしたものかと思案していました。よかったです。小枝さんの素敵なブログはどうなるのでしょうか。それも不安です。これからはどうされるのでしょう。
ののはな
2019年05月27日 23:54
♡゚。オコジョさん゚。♡
わたしは一人っ子なので、こんな姉妹のいざこざとは無縁と思っていましたが、母を介護中、義母の問題が大きくのしかかってきました。もちろん、夫の実家の問題は昨日今日の問題ではなく、まあ時間も問題だったのですが、若い頃は没交渉ということで切り抜けていたのですが、義母が失明した頃から、夫も人の子、親不孝もいつまでもできないので、時々実家に顔を出すようになったのですが、それが、義姉の不信感を買うことになり、なにかとつっかかるようになりました。それもこれもわたしたちが財産目当てで、近づいてきたと誤解したからだったと、今回の相続争いでよくわかりました。母が亡くなるまでの諍いも相当ひどく、わたしはもう神経をすり減らしていました。あんなにひどい人もいるものだとこの頃は客感的にみられるのですが、夫はまた、義弟が亡くなってから、ノイローゼ気味です。で、わたしは「病院で亡くなって良かったわよ」「納骨まではすべて金で片付けましょう」と言っています。だからお金だけは準備しました。夫も義父もあの家族がいやだったようです。で、義父は栃木に別宅を建てて、月の半分を過ごしていたのです。で、わたしたちは80年台まではそちらに遊びにいっていたのです。
オコジョさんごめんなさい。こんな恥をさらしてしまいました。ああ、これも人生ですね。母の死後で良かった。
ののはな
2019年05月28日 00:08
♡゚。華の熟年さん゚。♡
そうですか、華の熟年さんもいろいろとご苦労されたのですね。
わたしたちは決して豊かな暮しではなく、半世紀も引きこもり状態の義姉と義弟を案じていたのですが、全くそんなこちらの思惑とは別の事態になってしまいました。要するに家を出た長男(わたしの夫)憎しで、家族は団結していたようです。まるで働くことは悪いことのようによく言われていました。義母からは「働く女は強いわよね」と嫌みを言われました。義母の米寿の日にわたしたちが行かなかったと非難の電話がありましたね。「夫は仕事に行っています」と行ったら、「なに?まだ仕事してんの?!」と姉に非難がましい声でなじられた。まあ半世紀も家族の中の誰ひとりも働かずに暮らせるとは、びっくりです。わたしはとにかく泣きながらでも共働きするしか生きる術がなかった。
今、うちの息子にも「エンディングノートをちゃんと書いておいて」と言われています。3人の息子たちもそれぞれに相手ができて、家族ができるといろいろ難しい関係になりつつあります。兄弟は他人の始まりと、昔の人はよく言ったもの。
2019年06月10日 13:15
 兄弟は他人の始まりと言われますが、兄妹にもそれは同じかと。おまけに夫婦は最初から他人というのも。何とも、嫌な渡世となりました。
ののはな
2019年06月19日 14:06
♡゚。kazukunさん゚。♡
まあ、我が家のこの人たちは異常なのです。滅多にない家族です。だから長い間、あの人たちが新聞紙上でなにか賑わしたらどうしようと思っていました。まあいい結果だったと思うくらいです。思うに子どもって親がどう育てるかにすべてがかかっているように思います。今、「鬼畜」の家って本を読んでますが、まあつくづく思います。愛情をきちんと正しくもらって育っていないとダメですね。

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