<戦傷病者の長い戦後>を観て 流した涙のわけ

NHKの「戦傷病者の長い戦後」を観た。
2013年10月3日が日本傷痍軍人会の最後の式典になった。この頃NHKの番組が面白くない。で、あまり期待せずに録画してあったから観ようという軽い気持ちだった。が・・・気がつくと涙が流れていた。

画像


涙のわけのひとつは・・・
天皇の平和への思いを知ったこと
それを安倍らは自分たちに都合のいいように解釈して利用していること!

天皇の「おことば」
昭和20年の終戦以来68年の歳月がたちました。国のために尽くし,戦火に傷つき,あるいは病に冒された戦傷病者の皆さんが歩んできた道のりには,計り知れない苦労があったことと察しています。そのような中,皆さんが互いに,また家族と,手を携えつつ,幾多の困難を乗り越え,今日の我が国の安寧と繁栄を築く上に貢献してこられたことを深くねぎらいたく思います。戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が,決して忘れられることなく,皆さんの平和を願う思いと共に,将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません。


これに対して、安部の「祝辞」
先の大戦が終わりを告げてから、六十八年の歳月が流れました。この間、我が国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受してまいりました。これは、戦場に倒れられた方々や戦禍に遭われ傷病を負われた方々の尊い犠牲の上に、築かれたものであります。そのことを片時も忘れてはなりません。 


天皇の「おことば」で語られている「平和」は、安倍首相をはじめとする「靖国派」の語る「平和」とは全く意味が違う。
戦傷病者とその家族が願う「平和」は、自分たちのような存在を二度とつくらないでという「思い」が結集した言葉なのだと、天皇はきちんと受け止めている。
安倍首相とお仲間たちは、戦後の「平和」と「繁栄」は、戦没者や戦傷病者の犠牲があった「から」もたらされたと言っている。

それを同じものとしてはいけない。全く正反対のことを言っているのだ。


それは、特攻隊の映画を観て、もう負けるとわかっているのに、若い優秀な命をむざむざと、なんとむごいことと、涙を流す人の心情。その一方で「感動した」という安部首相の違い。安部首相は「国家のために命を捧げるその奉仕の姿」に感動しているのだ。そう、われもこうした国民を持ちたいと。


涙のもうひとつのわけは・・・
戦傷病者の戦後の想像もできないほどの生き様に・・・

国のためと葉書1枚で兵士になって、戦争で手や足、目を奪われ、死の日まで、脳に埋まった銃弾のために耳鳴り等に悩まされながらも、必死に生き抜いてきた道のり。涙が流れ続けて止まらない。

大阪府傷痍軍人会の最後の会長となった片目の木南龍雄さん(92)は、日本傷痍軍人会の式典が最後になることは喜ばしいことだという。なぜなら自分たちを最後に戦後68年「戦争がなく、新たな傷痍軍人は生まれなかった。私たちの代で解散できるのは喜ばしいこと」だと。

ほんとうにそうだ。わたしたち日本人は世界にこれを誇りにしていい。この68年間、日本人は誰一人として、人殺しをするために戦場にでかけていないことを。それはひとえにあの戦争が敗戦でピリオドが打てたことで、つくられた戦後体制、平和憲法のおかげだ。


もうひとつの涙は・・・
わたしの母(戦争未亡人)とわたしの父を思って


母のことは話せば長くなるので、別の日にしたい。父のことを思う。父は戦争末期に南方に送られ、日本陸軍の最底辺の兵士として悲惨な軍隊生活を送っていた。終戦間近に、敵機にやられ、海に放り出され、気がついたときは捕虜として、フィリッピンの浜辺に鰯のごとく並べられていたという。しかし、これで父の命がつながり、わたしが生まれたのだ。あの時、もう少し捕虜になるのが遅かったら、母の前の夫のように餓死していたことだろう。捕虜になってから美味しいものが食べられて生きのびたのだ、と父はよく語って聞かせてくれた。

わたしが幼い日、貧しいわが家ではよく按摩さんを頼んでいた。そうだったのだ。あの按摩さんは、戦争で失明した傷痍軍人だったのだ。母たちはひそかに彼の生活を自分たちがささやかにできることで応援していたのだ。このTVを観て、わたしは新しい発見をした。父が亡くなって、たくさんのビデオが出てきた。そのほとんどが戦争の原因を追及するものだった。父はなぜ自分たちがあのような戦争にかり出され、多くの仲間を戦場で失ったのか、その原因をずっと知りたかったのだ。

父はわたしにいつも言っていた。「政府のすることをよ~く見ておきなさい。彼らの一言がわたしらの生活を変えるのだから」


厚生労働省は2006年3月、戦傷病者やその妻たちの体験を後世代に語り伝える施設として「しょうけい館」(東京・千代田区)を開館。戦争を知る者がみな死んでしまったから、あの戦争はアジアを開放するためのすばらしい戦争だったという田母神たちのいう言葉がどんなにまやかしかが、わかるのではないだろうか。

戦争を間接的にせよ戦争を知っている者たちは、あの戦争は一体なんだったのか、その戦争をどう反省して戦後の教育があったのか、後世に伝えなければならない。真実の姿を。戦争を知らない世代は、戦争を美化する偏向した自意識過剰人間たちのいう言葉に騙されず、真実を見る賢い視点をもたなければならない。

はじけるしゃぼん星

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 22

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

2014年03月27日 11:03
私はこの番組を観ていませんが、太平洋戦争で父親を戦地で亡くしたご遺族や、不自由な体になって外地から帰って来た人たちのご家族、シベリアなどから抑留の末に傷心して帰国した人を身近に持っている人などはご覧になったでしょうね。
太平洋戦争に関連して語られるときの天皇陛下のお心は、いつも変らず思い遣りにみちた言葉で満たされています。
御自身の生涯をかけて、国家の犠牲になった国民と、その後遺族に対する鎮魂に尽くそうとされている深いお気持ちを感じますね。
安倍政権は天皇陛下の純粋に国民を思い遣る気持ちを、逆手にとって右傾化の道に引きずり込もうとしています。
靖国神社にA級戦犯が合祀されている問題でも、驚くことにA級戦犯を靖国に置いたままにして、明治以来この神社に祭られている戦争の犠牲者の御霊を、他の慰霊施設を作って、そちらへ移すべきだと考えているのが安倍首相ですよ。
こんなことを当たり前のように考える人物は、歴代首相の中にもいませんでした。安倍首相という人は、もしかすると私たちの想像以上の国粋主義者かも知れませんよ。甘いマスクに騙されないようにしなければ・・・。
ののはな
2014年03月27日 21:44
♡゚。あきさん゚。♡
天皇は苦しんだと思います。戦後の天皇家の信条みたいなものがわかるような気がしました。「戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が,決して忘れられることなく,皆さんの平和を願う思いと共に,将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません」ここです!こんなすばらしい思いを皇室の中でずっと継承していってもらいたいと願います。なぜならこの言葉を自分流に勝手にねじ曲げて解釈し、全く反対の方向にもっていこうとしているのが、安部首相の言葉だからです。
>戦後の「平和」と「繁栄」は、
>戦没者や戦傷病者の犠牲があった「から」もたらされたと
言っているのです!
{~から}なんです。それが国民に国のためにわが身を犠牲にしろと言っているのです。
A級戦犯が合祀されてから、天皇は一度も靖国神社へは行っていません。それが何を意味するのか、きちんとTVは報道すべきですね。多くの若い人はわからないと思います。安倍は極右ですね。今までの自民党首相では最悪です。自民党支持の人に早くそれに気づいてもらいたい。経済はアベノミクスで良くなるのではないことにも気づいてもらいたい。
わたしはもっと父や母が生きているときにいろんな話しを聞いておくべきだったと今になって悔いています。この番組で気づいていなかったことをあれこれ思って泣きました。
2014年03月28日 03:47
私は、夕食後の洗い物を、していましたので、半分聞いて半分他の事をかんがえてしまいました。また再放送があればみたいです。天皇陛下が、お賢いのは、美智子皇后が、お賢いからではとひそかに考えています。
安倍首相が考えが古いと言うか、右寄りなのは、お爺さんの岸晋介氏がもの凄い保守本流というか、ハッキリ言って戦犯と言ってよいほどの、大物だった影響でないかと私は思っているのです。安倍さんの奥様はかわいい方なのにね。
でも、中国や、韓国も、おかしな人が国主になっている時代ですから、日本の人々も、妙に保守的になってきた面もあるのかしらと思います。
ののはなさんのお父様は、九死に一生を得られて生還なさったのですね。
偉いかたですね。
私の父は、戦時中は右翼だったのですが、諫早で、土嚢を掘っている時に、長崎に原爆が落ちて、光るのをみたり、被災者の救援をして、アメリカが如何に強大で、残酷な国か分かったと言っていました。その後職場に復帰したのですが、兵器産業で、食べていた会社だったので、人員整理で、自主退職してから、段々物事を斜めに見るようになったみたいです。でも、平凡な人でした。
母は、世間知らずの、自称左翼の一言居士なんですけど、今は物忘れで、一日中テレビを見てます。
私は右の父と、左の母に挟まれて生きて来たヘンな人間です(笑)。
2014年03月30日 15:07
私も、母について考えているのですが、未だ呆けているとはいえ、生きていますのえで、ちょっと書けないのです。母に影響を与えた、近所のおばさんリーダーについていっぺん悪口を書いてみたいです。
ののはな
2014年04月02日 00:51
♡゚。さよさん゚。♡
コメントいっぱいありがとうございます!!
美智子妃の存在は大きいと思います。今の天皇も美智子さんも戦前、天皇がどんな存在を演じさせられたか、それがどんなことになったのかをちゃんと知っている人たちなんですよね。それを少なくとも今の皇太子の世代に教育してきた。しかし・・・次の世代にまできちんと継承されるといいのですが。皇室では風化があってはいけないと思いますね。
 そうですね・・・安倍の祖父からの影響は大きいと思いますね。中国は共産党の国ですから。日本の共産党とは違いますよ。あの広大な中国大陸を支配するには大変な力が必要なことと。たぶんこれからいろんなことが起きるのではって思ってます。それはロシアも同じ。韓国はそれとはまた問題が少し違うのではないかしらと。日本に言葉まで奪われた朝鮮併合を思うと・・・。
さよさんのお父さまは長崎で原爆を・・・。そうですよね。あの時代をどう生きたかで価値観が決まってしまいますよね。お母さまのこと・・・むずかしいのですね。わたしは母が生きている間は、憎んだりもしたのですよ。でも今は・・・もっと違う見方ができるようになりました。

この記事へのトラックバック